転生夫婦譚 第5話  1997年

1997年。そろそろ思春期に突入。

□■□

新年がやってきた。
年末にインフルエンザにかかった皐月はだいぶ元気になっていて、僕はほっとした。
やっぱり…前世のトラウマがあるんだよね。

皐月が寝込んでいるときに、3回も前世の夢を見た。アザレアが亡くなったあの日の夢を。
前世の僕…ジェイドはアザレアのことを愛していたし、依存していた。だからアザレアが亡くなったことで王様への恨みを募らせて、取り返しのつかないことをしてしまった。

今の僕も皐月のことが好きで、やっぱり同じように依存している。皐月に何かあったら、皐月にインフルエンザをうつした人を恨んで同じように手にかけるのだろうか。
そんな自分が怖い。

□■□

「皐月ちゃん!助けてくれ!!」
2月9日の昼過ぎ、俊和がうちに駆け込んできた。というか何故皐月がうちに居るとわかったんだ…。
「どうしたの俊和くん」
「昨日セーラームーンの放送が終わっちゃったせいで、うちの菜々がショックでご飯を食べなくなっちゃったんだ…今日の朝と昼、食べてない」
「それは大変だ」
僕が小1のときに幸政の妹ちゃんのセーラームーンごっこに付き合わされた記憶があるが、昨日までやってたのか…。僕は妹がいないから、自分で見ないと情報は入ってこない。
「幼稚園の子って変身するアニメが好きだもんね」
菜々ちゃんは確か4歳だっけ。一番そういうのが好きな時期だ。それはショックを受けるだろうな。でも4歳の子がご飯を2食食べないというのは一大事だ。
「皐月ちゃんはよく妹のめんどうを見てるからこういう時どうすればいいかわかると思ったんだ!助けてくれ!」
俊和はそう言って皐月の手を取ろうとしたので、とりあえず払いのけておいた。
「ご飯を食べないのはよくないね…ゼリーなら食べるかも?私もインフルエンザの時はゼリー食べてた」
「ゼリーか」
「ツネちゃんの家のだがしコーナーで1個30円のミニゼリー売ってるよ」
「それならオレも買える!ありがとう皐月ちゃん!」

3人で酒屋さんの駄菓子コーナーに向かうと、青りんご味のゼリーを1個買って俊和の家に向かう。必然的にツネちゃんも合流することになった。
みんなで俊和の家に行ってみると、リビングの隅っこで膝を抱えた菜々ちゃんがグスグスメソメソと泣いていた。俊和のお母さんがオロオロしている。
「菜々、泣くな!俊兄ちゃんがゼリー買ってきてやったぞ!これなら食べたいだろ!?」
俊和が言うと、菜々ちゃんはこちらをちらりと見たが、すぐに
「や~ですぅ」
と、顔を背けてしまった。

「菜々ちゃん、元気出して」
「セーラームーンのテレビ放送は終わったけど、セーラームーンがいなくなっちゃったわけじゃないのよ」
「でも、でも~」
「菜々ちゃんも同じくらい可愛くて強くなればいいのよ、ね、皐月ちゃん」
「そうそう」
皐月とツネちゃんが優しく菜々ちゃんを慰める。
やっぱりこういうのは女の子同士ね、と俊和のお母さんが嬉しそうに呟いた。
「皐月お姉さんはすごく器用だから!変身ブローチだってビーズを編んで作っちゃうし、お人形の洋服だって縫っちゃうのよ!」
ツネちゃんが言う。皐月が褒められていると何だか僕も嬉しい…ってそんなこと言ってる場合じゃないんだけど。
「おねえちゃん、なんでもつくれるですかぁ?」
お、菜々ちゃんが食いついた。
「プロじゃないから、何でもじゃないけど……でも、できるだけ作るわ!みーくんのお母さんに『洋裁』を習ってるから!」
皐月が手を伸ばすと、菜々ちゃんはぱあっと顔を輝かせた。
「ならったら、つくれるですかぁ!?」
「皐月ちゃんみたいに練習すれば作れると思うよ」
「セーラームーンのおようふくつくりたい!わたしもおおきくなったら、『よーさい』をならうですぅ!」
そう言って菜々ちゃんはお母さんに抱っこをせがむ。
「あらあら、元気になったわね」
「ほら、ゼリー食え食え」
「はぁーい」
お母さんの膝に抱きかかえられて、俊和にスプーンを差し出されるままにゼリーを食べる菜々ちゃん。年が離れてるから可愛くて仕方がないって感じだな。

そうしていると、突然ドアがガチャリと開いて、俊和のお父さんと辰也さんが顔を出した。
「菜々!県道沿いのおもちゃ屋さんで変身ブローチまだ売ってるぞ!」
「放送が終わったからブローチもスティックもめちゃくちゃ安くなってる!買いに行くぞ、菜々!」
「わぁーい!」
それを聞いた菜々ちゃんは飛び上がって喜んだ。
「なんだよ父ちゃん、兄ちゃん!もっと早く言えよ!ゼリー買ってきたオレがバカみたいじゃないかよ!!」
俊和が抗議する。
「あはは」
僕と皐月、ツネちゃんは笑った。

でも、きょうだいってやっぱりいいものだなあ。こんなに心配するなんて。
僕は一人っ子だから羨ましくなってしまった。

□■□

「みーくん、ハッピーバレンタイン」
そう言って皐月がチョコレートを渡してくれた。
「ありがとう!」
ラッピングを開けると…大きなハートの手作りチョコが入っていた。
嬉しい。ここまでちゃんと『彼氏』として扱ってもらえるなんて…!
「ハートを割っちゃうのは悲しいから、かじって食べてね」
「うん」

リビングに並んで座ってチョコを食べていると、チャイムが鳴った。
「皐月ちゃん!やっぱりこっちにいたんだな!」
俊和だった。
「当たり前のように皐月を探してうちに来るなよ…」
邪魔をされた気がして、不機嫌になる僕。
「うちの母ちゃんから、この間のお礼のおかしとどけるようにたのまれた!光哉と一緒に食べてくれ」
そう言って俊和はお菓子の詰め合わせを皐月に渡すと、風のように去って行った。
「…何だったんだ」
僕が呟くと、
「…どうしよう、バレンタインに彼氏以外の男の子からおかしもらうのよくないよね…」
皐月は困惑した声で言った。
「と、俊和からじゃないから!俊和のお母さんからだから、セーフだ」
「そっか…じゃあ、食べちゃってもいいのかなこれ」
「ぼくは皐月からのチョコがあるから、皐月が全部食べていいよ」
「え~、いいの、やった~」

こうして僕は皐月から貰ったチョコ、皐月は俊和のお母さんから貰ったお菓子詰め合わせの中のクッキーを並んで食べるという不思議なバレンタインになった。

□■□

もうすぐ4年生も終わる。
皐月と一緒だったから楽しかった数々の行事、それも4月からなくなってしまうかもしれない。
また同じクラスになれるといいのに…学校でも家でも皐月のいる日常に慣れてしまって、いないことに耐えられないかもしれない。
何て贅沢になってしまったんだろう、僕は。皐月が元気でいてくれるだけでもよかったはずなのに…。

□■□

5年生になった。僕は2組。皐月は1組でまた俊和と隣の席になっていた。出席番号は五十音順だから仕方ない。俊和が皐月を奪うとは思ってないけど、あいつは誰とでも距離が近いからな…この前も皐月の手をとろうとしてたし。もし、仮に万が一俊和が皐月を好きになったら僕に勝ち目はない。何せ王子様のような見た目の、学年一足が速い男なんだから。
幸政も地域の野球教室に通ってるけど、5年生から本格的に試合に出るとのことだ。
僕も負けてはいられないと、剣道を月2回から毎週に変更した。これからは水曜日に毎週道場に通うことになる。(厳密には月4回なので、第5水曜日があるときはお休みだ。)

そのことを皐月に話すと、
「じゃあ、水曜日にみーくんの家に行ってもみーくんはいないのね…」
と言われた。
え、これは寂しがってくれてるってことでいいのか…?

□■□

皐月が
「私、これからはうちのお母さんに料理を習うことになったよ」
と教えてくれた。
「そうなの?」
「うん、お母さんパートお休みの日が増えたから」
ということは、おじさんのお給料が増えたってことかな。それはよかった。おばさんは昔レストランで働いてたっていうし、今もお弁当屋でパートしてるし、おばさんに習えるならそれが一番いいよね。
「洋裁と書道は続けるの?」
「うん、洋裁はみーくんが水曜日に留守してる間にやることになった、おばさんが一番ひまだからって」
「えっ…」
確かに剣道も10歳未満は送迎が必要という決まりだったから、去年の今頃は母さんについてきてもらってた。それが必要なくなったから母さんは水曜日に暇になったわけで…理由として納得なんだけど、何も僕がいない時に皐月を呼ばなくても!

…皐月といられる時間が4月から大幅に減ってしまった。

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5年生でも同じクラスになったのはツネちゃんだ。
「ほら、会えない時間が愛を育てるっていうじゃない」
と、無責任なことを言ってくるけれど…多分大人になるにつれてもっと会えなくなると思うんだ。中学になったら塾に行くし、高校が同じとは限らないし、皐月は医者になるつもりはなさそうだから大学は絶対違うし。
僕が見ていないところで危険な目に遭っていないか、具合が悪くなっていないか、いつも心配でたまらない。

□■□

5年生では、湖のほとりで宿泊研修が行われる。
今回は皐月が違うクラスなのであまりやる気が起きない。

宿泊研修の前に、性教育が行われることになった。男女別に別の部屋に集められる。女子は生理があるから、色々と大変なんだろうな。…といっても、つらいということくらいしか知らないんだけど。
男子は低学年の頃から断片的に習ってきたことのおさらいだった。男女の体の違いとか、お腹の中で赤ちゃんがどう育ってゆくかとか。
昔は全然わからなかったけど、今は「子供ができるには子供ができるようなことをしないといけない」ということはふんわりわかっている。僕が皐月に触れたいのはそのせい。結婚相手を探して鳴いているセミや、ダンスをする鳥と同じ。
でも、実感は全くない。
アザレアはジェイドの子供を3人産んだから、前世ではそういうことをしたはずなんだけど……

そんなことを考えながら寝たら、前世の夢を見た。
アザレアが初めての子供、息子のフリントを産んだときの夢だった。なかなかお産が進まなくて、2日近く苦しんで、げっそりやつれて…久しぶりに会えたアザレアは、幸せそうに赤ちゃんを抱いて待ってくれていた。
…前世の僕は、その時アザレアにまた恋をした。このひとが一生自分の傍にいてくれるなんて、こんな幸せなことがあるだろうかって。だから………
それが壊れてしまったときに、耐えられなかったんだ。

□■□

宿泊研修はあっという間に過ぎ去っていった。湖のほとりの花火大会、楽しかったんだけど…皐月と花火デートしたかったな。
夏休み、誘ってみようかな。

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理科の時間でも性教育をやるようになった。
正しくは牛の繁殖方法を習ったんだけど(お肉や乳製品を安定して食べるには大切なことだよね)…人間も同じ哺乳類だから、似たようなもの。
えーと、これまでの情報を整理すると。大人の男の人が女の人の体に精子を送り込んで卵子とくっつけばお腹に子供ができる。でも僕らは植物じゃないから、風やミツバチに頼ることはない。送り込むにはそういう管が必要。牛は「人工授精」で、人間が用意した医療器具みたいなものを使っていたけど……前世、そんなものを使った記憶はないんだけどな?
だとすると……

『アザレア、アザレア…!もっと、もっとお前が欲しい…!!』
『ジェイド、さま……はい、私、あなたのお傍に…』
『アザレア…愛している…』
『うれしい…』

理解した瞬間に、前世の記憶が溢れ出した。子供の作り方のこと。送り込むための方法。管を挿し込む方法。

「うわあああっ!!」

あまりの刺激の強さにショックを受けて、それからぼーっとしていたものだから、父さんと母さんに心配された。

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前世にどうやって子供を作っていたのか思い出してしまったら、皐月と今までのように近い距離ではいられなくなった。

でも、ジェイドとアザレアは「そういうこと」をしていたけど、今の僕はジェイドみたいな大人の男とはかけ離れているから、自分も同じことをしようなんて気持ちにはならなかった。というか、そもそもジェイドが夢中でそういうことをしていた相手はアザレアであって、今の皐月ではない。ジェイドから見ればアザレアは同じ年頃の可愛い奥さんだけど、この前蘇った記憶の中のアザレアは今の僕からすると大人すぎるから(たぶん20代後半じゃないかな…)、そういう目では見られないし、前世の自分のことだけど「他人事」なんだよね。
というか…僕はまだ子供なのにこんなこと思い出してよかったのかな…恥ずかしい。

そんな風に僕があまりにウジウジしているものだから、皐月に心配されてしまった。

「みーくん、最近なんかよそよそしいね…」
「え、あ、だって……はずかしくなって」
「え?はずかしい?……あ!」
何かに気づいた皐月がハッとした顔で僕を見た。やめて、僕がいかがわしいことを知っているって気づかれたくないんだ。
「皐月…」
「私の方が1cmくらい背が高いってことに、ついに気づいちゃった!?」
「えええぇっ!?!?」
予想外の答えが来た!!というか、確かに言われてみれば僕の方が皐月より背が低い!
「大丈夫だよ、男の子の方が成長期がおそいってお父さん言ってたし」
「う、うん…」
「あ、でも、気になるならおじさんに話してみたら?おじさんはけっこう背が高いし、背を伸ばす方法を知ってるかも」
「あ、ありがとう」

皐月の予想は外れてるけど、身体の成長のことだから大外れというわけでもない。
とりあえず今度父さんに相談してみよう。

□■□

前世の記憶のことは隠して、父さんに相談してみた。

「どうしよう…どうやったら赤ちゃんができるかというのを知ってしまった、かもしれないんだ」
そうすると、父さんは少し戸惑った顔をして、それから優しく笑って答えてくれた。
「ああ、最近皐月ちゃんによそよそしかったのはそのせいか…光哉は理系科目が得意だからな、学校で習ったことだけでわかってしまうんだな」
「それは、その…」
「光哉は一人っ子だ、赤ちゃんが生まれるということが大変なことだっていうのをまだ知らないかもしれないな」
「ううん…ものすごく大変だってことは知ってるよ、陣痛が何時間もあって、長い人は一日以上続くんだってことも、血がいっぱい出るってことも」
「そうか……医者を目指しているっていうのは本気なんだな、そんなことまで調べているなんて」

父さん、僕のことを買いかぶりすぎだよ。どっちも、前世の記憶という反則技があったから理解できたんだ。

「身体が未熟な状態で赤ちゃんができると女の人への負担はとんでもないことになるし、それに子供を育てるには沢山のお金が必要になるから、ちゃんとした大人にならないと子供ができるようなことをしてはいけないってことはわかるな?」
「うん」
「そうだな、お前は賢い子だ、その証拠に新しい知識を得ても好奇心で皐月ちゃんに迫るなんてことはせず、こうして悩んでいるんだから」
父さんはそう言って、僕の頭を撫でてくれた。

その後、父さんと母さんが話していた。
「光哉は思春期が始まったみたいだな」
「そうね…そろそろそういう時期よね」
「大量の知識が入ってきて戸惑うことも増えているみたいだ、男親として相談に乗るくらいしかできないけれど」
「本当に助かるわ、あなた」

前世は親を早くに亡くしたこともあるけれど、家庭教師に性的な知識を沢山詰め込まれて、結婚相手が決まったら早く子供を作りなさいと急かされていた。今だと考えられないくらい酷い話だけど、「練習相手」を見つけてきても構わないって言われていた。まだ見ぬ未来の妻に悪いからと必死に拒否したし、それは間違っていなかったと今でも思うけれど。
それに比べて、なんて今は恵まれているんだろう。

僕は皐月のことも、父さんと母さんのことも大切だ。
悲しませるようなことは、絶対にしないぞ。

あ、背を伸ばす方法もついでに聞いておいたけど、
「特に好き嫌いもなく夜更かしもしていないんだろう?それなら、そのうち伸びるだろう」
と笑われてしまった。

□■□

もうすぐ夏休みだ。
なのに、皐月がとても不機嫌だ。

「お気に入りのワンピースを星香にあげないといけなくなったの」
と、皐月は愚痴る。
「大きいサイズのを買うんじゃないのか?」
「ううん、もう子供じゃないんだからああいう服は卒業しなさいって言われちゃった」
「え、そうなのか?」
ああ…背が僕より高くなるくらい皐月は『成長期』だから、服も大人みたいな服に変えていかないといけないんだな。

「他にも、いっぱい服を捨てることになったの…大人になるって、ものすごくお金がかかることなんだわ…」
皐月は恨めしそうに呟く。
お気に入りの服を自由に着られなくなるなんて、女の子は本当に大変なんだな…。

「ワンピース以外にも何か捨てるのか?」
そう尋ねると、皐月ははっとした顔をして…
それから目を逸らして、
「ないしょ」
と呟いた。

□■□

夏休みに入った。

ある日、剣道を終えて家に帰ると、皐月がタオルケットをかけてうちのリビングで寝ていた。少し顔色が悪い気がする。
「皐月…!」
僕が慌てて駆け寄ると、母さんが止めた。
「ちょっと体調が悪くなっちゃったみたい、少し横になればよくなるわ」
母さんはそう言いながらお湯を沸かしている。
「熱射病?」
「その逆よ、エアコンで冷やしすぎたのね」
「冷房病かあ…」
「うーん…それとは少し違うんだけど、似たようなものね」
母さんはそう言葉を濁す。
冷房病みたいなもの、か。でも、今年の皐月は去年までに比べて厚着してるはずなんだけど…。
「女の子は大人になると冷えに弱くなるのか…」
僕が呟くと、母さんが
「そういうことよ、わかっているのならそっとしておきなさい」
と返した。

すると、
「みーくん」
皐月がか細い声で僕を呼んだ。
「皐月、大丈夫か?」
「うん…みーくんはお医者さんを目指してるし、からかったり言いふらしたりするような人じゃないから言うけど…」
「ん…?」
「これ、生理痛なの」
「…え?」
「心配かけて、ごめんね」
皐月はそう言って、タオルケットを被る。
それを見た瞬間、僕は思った。

皐月を守ってあげなきゃいけない…と。

「僕にできることある?」
皐月の手を取ってそう言うと、
「光哉は貧血にいい食べ物でも調べてなさい」
と湯呑みを持った母さんに言われた。

□■□

僕と皐月は少しだけ大人になったから、今までよりも少しだけ離れた。でも、友達から見ると十分近いみたいだ。
最近はいつもの5人で集まってポケモンをしていることが多いんだけど、僕らはいつも並んで座ってるから、幸政につっこまれてしまう。
「見ているこっちが暑いんだけど」
「となりに座ってるだけだろ、抱き合ってるわけでもないんだからそんなにうるさく言わなくてもいいじゃないか」
僕が反論すると、
「抱き合ってくれてもいいのよ!」
と、ツネちゃんが興奮気味に叫ぶ。
「そういうのは、大人のカップルがやることだよ」
僕はつとめて冷静に返した。少女漫画好きのツネちゃんのことだから、熱く抱き合ったらそれでおしまいハッピーエンド、なんだろう。でも僕は前世の記憶でその先を知ってしまっているから…どうしても頭にそれがよぎる。だから、僕は皐月を抱きしめることはできない。
「うちの父ちゃんと母ちゃんはよく熱~く抱き合ってるけど、あれは大人のトッケンなんだな」
俊和が呟く。
「俊和のとこのおじさんおばさんは美男美女だからいいけど、うちの親が同じ調子だったらちょっとやだなあ」
と、幸政が苦笑した。
「わかる!」
それに同意するツネちゃん。
みんなまだ知らないんだよね。大人の特権の、その先にあることを。

「うちのお父さんは怪我で弱ってたときによくお母さんに抱きついてたけどね」
皐月が話題に加わってきた。
「あ、社長にいじめられてたんだっけ?」
「そりゃいじめられたらつらいし、なぐさめてほしい~ってなるわよ」
「それは仕方ないと思う!」
俊和、ツネちゃん、幸政が口々に言う。
すると、皐月はこちらを見てにっこり笑って、
「じゃあ、みーくんが誰かにいじめられた時は抱きしめてあげないとね」
と言うのだった。
「…!」
それを聞いた瞬間、僕は固まる。
愛する人の癒し……前世の僕が何よりも必要としていたもので、失くしてしまってから壊れてしまったものだ。

「光哉がいじめられるか…?勉強は学年トップ、スポーツも上の方なのに」
「先生お気に入りの優等生の光哉くんをいじめたら、成績表が悲惨なことになりそうだわ」
「シットされてってことか?」
三人は口々に言う。
しかしそれに皐月はきっぱりと反論するのだった。
「みーくんがお医者さんを目指してるから私ちょっと調べたの!そうしたらね、新人のお医者さんの『研修医』っていうのは安いお給料でこき使われて、ひどい目にあってばかりなんだって!ドラマでやってた!」
「あ、そんな先のこと考えてるんだ?」
「そう、だから今いじめられなくても油断は禁物なの!」
「すごい、皐月ちゃんの愛ね!」

「皐月…」
僕はそれ以上何も言えなくなった。
そう…皐月は前世のアザレアと同じことをしようとした。僕が何も頼んでいないのに。

皐月は前世のことを覚えていない。
でも、やっぱり魂は同じなんだ、と痛感した出来事だった。

□■□

最近不倫もののドラマが流行っているとテレビでやっていた。
コメンテーターの人が、
『家庭に不満のある人、特に主婦から人気がありますね』
と言っていた。

あまりよくない話題だから、親に内緒でこっそりと皐月とそのワイドショーを見た。そして、大人がはまっているいかがわしい映画の内容について二人で予想してみる。

「そんなに世の中の夫婦って仲が悪いのかな?うちはいい方だと思うけどな、俊和のところのおじさんおばさんには負けるけど」
「うちの親も仲がいいけど、そんなに流行ってるなら見てみる?って言ってた」
「じゃあ流行りに乗っかってるだけか…」
「私ら子供だから見られないけど、不倫をするエッチな話ってことでいいのかしら」
「不倫して心中するらしいよ」
「心中…事件?エッチな映像があって事件が起きるって、2時間サスペンスドラマと同じじゃない?ほら、温泉の事件とかばっかりだし、2時間サスペンス」
「そうかな…?確か太宰治っていう昔のえらい作家がそういうことしたって聞いたことがあるけど…」
「そうなの?さすがみーくん物知り!」
「確か川に飛び込んで亡くなったって……ガケ?いや…橋から飛び込んだのかな??」
「じゃあ…2時間サスペンスじゃない」
「そうだな…2時間サスペンスだな…」

たぶん間違ってるんだと思うんだけど、そんなことよりも皐月と二人だけのちょっといけない話題の内緒話をしたということが僕にとっては大切だったりする。

(※太宰治じゃなくて有島武郎だそうです。)

□■□

不倫ものが流行っているということで、また前世の余計な記憶が蘇った。
前世の世界では貴族の政略結婚が当たり前だった。だから、仲の悪い夫婦は今の比じゃないくらい多くて、跡取りをもうけた後はお互いに愛人を作って自由にするっていうことがあったんだよね。
ジェイドはそういうのは大嫌いな潔癖症で、アザレアだけに重すぎる愛情を向けていた。

そして…意外なことにジェイドを追い詰めたあの暴君は、ジェイドと同じようにそういう乱れた恋愛に否定的だった。人間不信の王にとって、自由恋愛の相手を囲って愛でるなんてことは全く理解不能な行為だったのだ。
国内の貴族を弱体化させて自分に権力を集中させたい王は、風紀の乱れを粛清の理由にした。気に食わない貴族を失脚させるための便利な口実だった。

でもジェイドは、そういうことには無縁だった。妻だけを愛する堅物のジェイドを排除するには新たな理由を探さなければいけなかったのだ。

ジェイドは……王にとって邪魔者でしかなかった、ということだな。

□■□

最近、ワイドショーでは売れっ子の歌手が『出来ちゃった結婚』をしたというニュースばかりやっているようだ。
結婚しなくても子供ができる…1年前の僕だったら衝撃を受けていただろうけど、今はその辺はちゃんと知っているから、驚かない。

僕はこうだけど皐月はどうなんだろうか…と思って反応を伺ってみたところ、
「結婚せずに子供ができても、お金持ちだからあまり気にしないのかもね」
とのことだった。

□■□

皐月は近頃お手伝いをよくして、お小遣いを追加で貰っているらしい。お金を貯めているようだ。
何か欲しいものがあるのかな、クリスマスプレゼントにあげようかな、と思って星香ちゃんに探りを入れてみたところ、
「お姉ちゃん、夏に服をすてないといけなくなったでしょ?それがショックだったみたい!自分で買ったものなら勝手にすてられないって言ってたよ」
とのことだった。
そっか、服が欲しいのか…でも、僕がクリスマスにそれを買って贈ったら、小学生には高すぎるってまた怒られそうだ。残念。

□■□

11歳になった。でも、急に背が伸び始めるとかそんな都合のいいことが起きるはずもなく、家族と一緒にケーキを食べた。

夕方、皐月が誕生日プレゼントを持ってきてくれた。かっこいいペンケースだ。
「ありがとう…!あ、でも、お金貯めてるところなのにごめん」
僕がそう言うと、
「それとこれとは別だから!」
と、皐月に叱られてしまった。
「…でも、服が欲しいんだろう?星香ちゃんからそう聞いた」
僕が言うと、急に皐月は顔を真っ赤にして、
「星香…!お仕置きされたいようね…!?」
と、怒った様子でうちを飛び出して行った。
ええぇ…なんで姉妹喧嘩になるんだ…!?何か悪いこと言っちゃったんだろうか!?

様子を伺っていると、皐月に絞られたらしい星香ちゃんの叫び声が聞こえた。
「ひどーい!!お姉ちゃんが買おうとしてるのがパンツだってことちゃんと隠して話したのにー!!」
「隠すなら全部隠しなさいっ!!あと声が大きい!」
「痛っ!!」
「今ので近所に知られたら…とくにみーくんに聞かれてたら百叩きだからね!!」
「わーん、お母さーん!!」
「百叩きはやめときなさいね、それはともかく今回のことは星香が悪いわよ」

あ~…そ、そういうことか~…
星香ちゃんを巻き込んだのは僕なので、恥ずかしい気持ちよりも罪悪感が勝る…。

□■□

クリスマスがやってきた。
僕は皐月に可愛い消しゴムのセットを買って贈った。とても無難なプレゼントだね。

…大人になったら。
皐月にどんな高いプレゼントを贈っても、自分で稼いだお金を使うのなら誰も文句を言わないし。
冬空の下でデートをして寒くなっても、抱き締め合って温め合うことだってできるようになる。

今の僕は11歳と1か月。大人になるのはまだまだずっと、ずーっと先の話。
大人になると自由にできることが増えるから早く大人になりたい…と思う反面、やっぱり怖い気持ちもある。
大人の男はとてもスケベだと世間の人たちは口を揃える。僕がジェイド『だった』時も多分そうだったんだろう。あんなに嬉しそうにアザレアに触れて、えっちなことをしていたのだから。
…僕はそうなるのが怖い。ジェイドがアザレアにのめりこんでいたように、僕も皐月にそういうことをするようになったら…あんなに純粋で恥ずかしがり屋な皐月を、泣かせてしまうかもしれない。怖がらせてしまうかもしれない。皐月が怖がって逃げるようなことだけは、絶対にしたくない。でも、大人の男になるとそういうのが我慢できなくなっちゃうのかもしれない…。

皐月が隣にいてくれて、毎日仲良く過ごせればそれでよかったはずなのに、僕はどうしたらいいんだろう…。