転生夫婦譚 第6話 1998年

1998年。
先に大人っぽくなっていく皐月と、思春期を迎えたことで焦りつつも皐月さえいれば幸せな光哉。

□■□

皐月が、オリンピックの記念硬貨を手に入れたって見せに来てくれた。最近は、こういう恋愛と関係ない話をしていると気が紛れる。というのも、自分が成長していないことがコンプレックスで、身長を測っては落ち込んでいるからだ。女の子の方が先に成長期が来るっていうのは本当で、皐月との差がどんどん開いている。
皐月は皐月で、背が伸びるってことは体重も増えるってことだから、あまり嬉しくないと言っていた。
「みーくんはスリムな子とぽっちゃりの子どっちが好き?」
と皐月が尋ねてきたので、
「皐月ならどんな姿でもいいけど、体によくないダイエットはやめてほしいな」
と正直に答えた。

…多分、ジェイドは胸が大きい方が好きだったんだと思うけど、それは絶対秘密だ。

□■□

もうすぐ5年生も終わり。
「来年は皐月ちゃんと同じクラスになれるといいね」
とツネちゃんが言う。
「熱いなー時任」
「ひゅー」
最近クラスメイトたちがからかってくるようになった。前は興味ないって人も多かったんだけど、最近は男子でもそれは少数派だ。
するとツネちゃんが、
「静かに!あんたたちがからかったせいで皐月ちゃんがはずかしがって近づかなくなったら、光哉くんにふくしゅーされるわよ!」
とクラスメイトたちを牽制する。

復讐って…やっぱり執念深いイメージを持たれているらしい……前世があの通りなので、正解なんだけど。

□■□

「みーくん!同じクラスだね、ほら、3組!」
「ほんとだ…」
体育館に貼り出されたクラス分け表を見て、僕はほっと胸を撫で下ろす。
皐月がいる。
中学生になるまでの最後の1年間を、イベントがたくさんある1年間を、皐月と過ごせるんだ。
「よかったね光哉くん!あ、3年間連続同じクラスだね、よろしくね」
名簿を再確認するとツネちゃんもいる。幸政と俊和は別のクラスのようだ。親しい人だと…林間学校で同じ班だった安田くんだな。安田くんは5年生から理科クラブをやめて『昔の遊びクラブ』に変わったから、あまり最近話していなかったけど。

教室に行くと
「あっ、雨原さんと時任くんだ」
「いっしょに来たってことは、ほんとに付き合ってるのね」
「手つないだりとかはしてないけど」
と女子たちがヒソヒソと話をする。
すると、
「そうそう!だから光哉くんや皐月ちゃんに恋をしてもムダだからね!江戸時代のことわざにも『他人の恋路をジャマするやつは馬にけられて死んじまえ』っていうのがあるからね!」
何故かツネちゃんが胸を張る。彼女は前世(アザレアの侍女)を覚えていないけど、やっぱり何か思うところがあるんだろうな。そのことわざはどうかと思うけど。
「好きにならないよー」
「いくら優等生でも、他の女の子にべったりの人はね…」
女子たちは、その辺については現実主義のようだ。
「大人だと人のものを盗むのがシュミの性格悪いやつがいるらしいけどね」
「あ、俳優の〇〇だろ?」
「変なヤツだよな、あんなオジサンなのになんでモテるんだ?」
とりあえずうちのクラスには、横恋慕してくるような人はいないようだ。というか、その芸能人がおかしいんだ。

□■□

6年生になったら最高学年として色々やることも増える。僕は図書委員会の副委員長になった。
6年生の責務といえば1年生の世話がその代表例で、入学式に出席して、5月には遠足に連れていかないといけない。

皐月は
「1年生可愛いわねー!手のかかる星香とは大違い!」
と喜んでいるが、僕は正直ちょっと怖い。皐月には星香ちゃんがいるし、幸政や俊和にも下のきょうだいがいるけど、僕は一人っ子で慣れていないから。
そのことを父さんと母さんに愚痴ったら、『それを言い訳にしてたら将来皐月ちゃんと結婚したときに子育てで困ったことになるから、きちんと頑張るように』って注意されてしまった。
それもそうだ。前世のジェイドは貴族だから使用人が助けてくれたけど、今度は自力で何とかしないといけないんだ。

そういえば父さんも一人っ子だよな。僕が生まれた時、怖くなかったのかな。

□■□

修学旅行の班決めをした。旅行は10月の終わりなのに気が早いと思うけど、事前学習もあるから毎年こうらしい。行先は京都と奈良だ。

安田くんが、
「4年生の時みたいに組もうよ、雨原さんも呼んで」
と誘ってくれる。
「班は5人か6人だから…皐月ちゃんと光哉くんと私と安田くんと、コマちゃんね」
とツネちゃんも乗り気だ。(ちなみにうちのクラスは女子の方が2人多いので、男子の方が多い班ができてしまう。)
コマちゃんというのは皐月と去年も同じクラスだった小松川さんのことだ。中学生のお姉さんがいてその影響で少し派手目な子だけど、意外と皐月とは気が合うらしい…と皐月から聞いている。皐月を通してツネちゃんとも仲が良いらしい。

僕は初めて小松川さんと話してみた。
「よろしくお願いします」
すると、
「あー皐月ちゃんのカレシ!頭いいんだよね!?修学旅行の予習だけじゃなくてテストのヤマも教えて?アタシバカだからさー、お願いねー」
とバシバシ背中を叩かれた。ちょっと馴れ馴れしい子だな。
「通信教育のテスト予想問題なら見せてあげられるけど」
「ほんと!?すごい、さすが皐月ちゃんのカレシ!可愛い皐月ちゃんにつり合うオトコ!」
と褒められる。
「よかったー、仲良くなれそうね」
皐月はニコニコしながらこちらを見ている。真逆だから気が合うってやつなのだろうか…皐月がいいならそれでいいか。

でもコギャル小学生版みたいな小松川さんより衝撃だったのは、安田くんがもうツネちゃんのことを特別好きではないということだった。
え!?そんなアッサリと心変わりするものなのか!?

□■□

1年生を連れて遠足に行った。1年生の方が人数が少ないから、6年生5人に対して1年生は4人。男の子と女の子2人ずつ。
皐月はみんなに懐かれて嬉しそうにしていた。僕も自分のことのように誇らしかった。

でもそういえば…僕が1年生のときに皐月が好きだって言ったら、幸政と俊和は「瑠々お姉さんが好き」と言ってたんだよな。
2学年上の生駒先輩とは今はあまり接点はないし(中学に入ったら事情も変わるかもしれないが)、幸政も俊和もそんなことはもう忘れてるだろうけど…小さい男の子にとって年上の優しいお姉さんというものは憧れなのかもしれない。

そう思うと急に嫉妬してしまう自分が情けなくて、皐月に申し訳なくなった。

□■□

今日は修学旅行の『前哨戦』(母さん談)である社会科見学だ。修学旅行と同じ班で、近場の史跡を回ってわかったことをまとめるんだけど…この辺の史跡は戦国大名ゆかりのお寺や城跡が多いのに、まだ社会の授業は古墳時代だったりする。
だから、実際のところは班で行動して学習する練習が目的で、勉強の内容については後回しなんだと思う。

「ツネちゃんは大河ドラマで歴史勉強してるから、歴史の勉強もこわくないね」
「えーすごーい、あんなの難しくてわかんないよ」
「年にもよるよ~今年はちょっと難しいかな…」
と無邪気に話す皐月とツネちゃん、小松川さん。
僕も父さんの影響で大河ドラマを見ているけど、話の腰を折るのはやめておこう。
すると、安田くんが心配した顔で、
「時任くんあんまり雨原さんと一緒にいないけど大丈夫?」
と尋ねてきた。
「大丈夫って、リコンする夫婦じゃないんだから…」
僕は苦笑しつつ返す。一応仮にも学校の行事なんだから、みんなの目の前でベタベタするわけにはいかないよ…と言いたかったんだけど、
「林間学校ではあんなにベタベタしてたのに…」
と、意外そうな声で返されてしまった。
「そんなにしてた!?」
思わず声に出すと、
「自覚ないんだね」
とツネちゃんに笑われた。

昼食時間になって、城址公園でお弁当を広げる。
「お城って戦いの場所だったのにこんなにのんきにご飯食べてていいのかしら」
と、ツネちゃんが呟く。
「本物の落ち武者の幽霊がいるってこと?」
皐月が言う。『本物』って…確かに僕は落ち武者が憑いてるなんて話も出たけど。あれは冗談半分だから。
「やめてよーこわいじゃんー!」
小松川さんが皐月に抱きついた。
「やめなよ、時任くんの前で雨原さんにベタベタしたら時任くんが落ち武者みたいになるよ」
安田くんがそう言って笑う。
「じゃあ今度は時任くんが皐月ちゃんに抱きつく番」
「いやいや、叱られるから」
小松川さんは無責任なことを言う。

抱きついて許されるならとっくにそうしてるよ。だって僕は、1年生にも嫉妬するくらい心が狭いから…皐月の特別だと実感したいから。
でも、今は女の子に抱きついちゃいけないってことはわかってる。抱きついたら皐月の肌や胸に触っちゃうかもしれない。ジェイドとアザレアなら夫婦だからいくらでもそうしていいけど、今の僕らはダメなんだ。

□■□

剣道大会で団体戦に出た。僕は次鋒。
道場で一番強い奥寺くん(隣の小学校。中学校は同じになる予定)の活躍もあって、準決勝まで勝ち上がった。僕は勝つこともできたけど、最後の試合は優勝した相手と当たったこともあって、手も足も出なかった。
皐月が応援に来てくれていたらしい。というのも、僕が緊張するといけないからって秘密にされていたんだ。ひどい話…と言いたいところだけれど、皐月と今世で初めて出会ったときのあの挙動不審を目にした両親からすると当たり前の判断だ。反論できない。かっこいいところを見せようとして空回りしていたかもしれない。

大会が終わった後で皐月がやってきて、
「みーくんおつかれさま!がんばったね!!」
と労ってくれた。
「皐月…」
「どうしたの?なんか遠い…」
「いや…汗臭いだろうから」
「そっか…」
「あらあら、光哉もそういうのを恥ずかしく思うようになったのね」
母さんが微笑ましそうに言うけど、こちらからすれば死活問題だ。同じ車の隣の席に座っても、くっつくことができないんだから。
「負けるところ見せたくなかったな…」
僕が呟くと、
「そんなに何でもカンペキにしなくてもいいのに」
皐月が慰めてくれた。

□■□

世間はワールドカップで盛り上がっている。ツネちゃんと小松川さんも、サッカー選手の誰がかっこいいとか話しているくらいだ。でも皐月はあまりスポーツに興味がないらしい…
「サッカーって走ってる人の顔が見えないし、覚えられないのよね」
とのこと。
スポーツに興味が無いのにこの前剣道の大会を見に来てくれたのか?これは自惚れてもいいのだろうか。

□■□

6年生というのは多忙なもので、修学旅行、10月頭の運動会(主に組体操)、それに加えて12月頭の音楽発表会の練習まで始まった。
この3つに共通しているのは、『他のクラスとの合同授業がある』ということ。
同じクラスの子たちは慣れているけど、他のクラスの子たちは名物カップルだという僕らを面白がって見に来て、あまりに何もないのでガッカリして帰っていく。もっとイチャイチャベタベタしていると思っているんだな。遠慮しているというこちらの気も知らないで。

「あれからずっと長いお付き合いしてるってすごいわね」
と、少し申し訳なさそうに言うのは佐倉さん。
低学年の頃に他の女の子に嫉妬して騒動を起こし、星香ちゃんに喧嘩で負けて、俊和本人にまで怖がられていた佐倉さん。あれだけ俊和に夢中だったそんな佐倉さんですら、今はもう俊和とは別の人を好きらしい。

「そうはいっても…両想いじゃないから、他の人を好きになるんじゃないかしら?むくわれない片思いは絶対につらいし、そんなつらい思いをずっと続けていくくらいなら他の人を好きになると思う」
皐月はそう呟く。
「僕と皐月は両想いだから長続き?」
「そういうもんじゃないの?お父さんとお母さんだってそうだし、みーくんの家のおじさんおばさんだってそうでしょ?」
「そうだなあ…」
二人で顔を見合わせて、それから首を傾げた。
「じゃあ何で好きで結婚したり付き合ったりしているのに浮気する人がいるのかしら」
「それは、百年の恋も冷めるってやつじゃないのか?」
「みーくんは私が何をしてたら百年の恋も冷めるの?」
「え……」
「え、まさかの『何やっても冷めない』なの!?さすがに人としていけないことをしてたら冷めないとダメだよ!」
「いや…皐月はやらないだろうし…」
「もののたとえだから!」
皐月に説教される羽目になってしまった。解せない。

「何を大真面目に話してるの…どう考えても気が合ってるから長続きしてるんだと思うわ」
呆れたように呟くツネちゃんに、佐倉さんが
「いつもこの調子なの?」
と尋ねていた。

□■□

6年生は勉強も忙しい。僕は成績を維持しているけど、医者になると決めた以上は中学生以降も頑張らなければいけない。医者になるためには、いい大学に入らないといけないからだ。
ちなみに…国語算数理科社会については全部三段階評価の一番上が取れてるんだけど、算数については前世の記憶でズルをしている。ゲームの中のファンタジー世界だから理科は全然違うけど、基本的な算術については同じなんだ。
でもこの調子でいつまでやっていけるかわからないから、中学生からは塾に行くことになっている。英語も心配だな。

「塾に行くの?星香みたいに成績が悪いわけじゃないのに?」
「進学塾っていうんだ、受験の対策をしてくれる塾だよ」
「そっか…どっちにしても、中学生になったら習い事が増えるってことね」
「中学になったら剣道は部活に切り替わるから、増えるってわけではないかな」
「あ、そうなのね」

皐月は塾にも行かないで、通信教育もやらないで、一人で頑張っている。親や前世の記憶に頼りきりの僕よりずっと偉い。

□■□

夏になった。
プールの時間は、皐月が変な目で見られていないか警戒する必要がある。低学年の頃は更衣室で女子がいないのをいいことに素っ裸で走り回る奴とかいたけど、今はいない…それは大人になってきたということだから。
「時任くんが怖いから誰もそんなことしないよ」
と安田くんは言うけれど。
「つまらないからやってらんな~い、休めるなら休みたい!」
と、小松川さんがぶーたれると、皐月もウンウンと頷いている。低学年の頃みたいな水遊びじゃなくひたすらクロールや平泳ぎを練習するだけだから、プールがつまらないというのは理解できる。

ちなみに僕自身が皐月を変な目で見る可能性については…敢えてあまり考えないようにしている。

□■□

夏休み。小学校6年間ずっとそうだったけれど…皐月、幸政、俊和、ツネちゃんと5人で集まって宿題をやる。中学になっても続けられるといいんだけれど、目指す進路がそれぞれ異なっているからなかなか難しいだろう。

「みーくん、この問題難しくない?」
「この立体はここに線を引いて分けて考えれば…」
「あ、なるほど…ありがと、みーくん」
最近は皐月の声がやけに甘く聞こえる。体がむずむずして、思わず抱きしめたくなる。ジェイドはアザレアをよく抱きしめていたけれど、同じ気持ちだったのだろうか。あの堅物そうな前世の僕が、こんな甘酸っぱい感情を抱えていたのだろうか……たまに流行りのドラマを見ると、大人も割とそうであるように描かれているから、意外とそうだったのかもしれないな。
…つまり、好きな人と結婚するということは、このむずむずして胸が苦しい衝動を我慢しなくてもよくなるということなんだ。
そして、この気持ちと性的な衝動というものは似ているけれど別のものだと思う。そちらの方は頭では理解しているけれど(主にジェイドがアザレアにしていることで)、まだ自分に起きることだと思えていないからだ。身体が子供だから当たり前なんだけれど。もし理解できたら、こんな風に能天気に遊んでいる場合ではない。

「ああ、やっぱりあの二人が仲良くしてると心が満たされる…目の保養になるわあ…」
ツネちゃんの声で現実に引き戻される。ツネちゃんはツネちゃんで前世の記憶の断片があって大変そうだな。
「ツネちゃんは私たちを観察してるけど自分は好きな子いないの?」
ちょっと呆れた声で皐月が尋ねる。
「んー、うちの酒屋さん継いでくれるおムコさんがいいねって思ってる」
ツネちゃんの現実的な返しに、幸政と俊和は顔を見合わせた。
「もうそんなこと考えてるの?」
「ん~私は結婚したいって思えるくらいの人としか恋愛したくないもん」
ツネちゃんがしんみりと言うと、
「なんか…他の女子をうっすら怖がってる光哉がツネちゃんとは仲がいい理由が分かった気がする…気が合うんだろうなそういうあたりは」
と、幸政が呟く。
「みーくんコマちゃんのことちょっと怖がってるでしょ」
皐月に指摘されて、僕は黙るしかなかった。
「ギャルだからそれは仕方ないんじゃないのか?」
「ギャルにヘンケン持っちゃだめよ…ま、絶対浮気しないからそれはそれでいいんだけどね」
皐月の言葉に、
「やっぱり奥さんは言うことが違うぜ…」
と、俊和が呟いた。

□■□

幸政、俊和と公園で話していると、俊和のクラスの友達が
「あっちの空き家でエロ本見つけた!」
と騒ぎながらやってきた。
「あーあ、あんな大声で言って、学校にチクられたら終わりだぞ」
呆れた顔で幸政が呟いた。
「兄ちゃんがヤングジャンプ持って帰ってたけど、普通のジャンプの方が面白かったぞ」
俊和が返す。ヤングジャンプは…エロ本なのかな…普通に本屋に売ってるけど…。
「空き家にわざわざ物を捨てに来る人がいる方が怖いよ…何か裏がありそうで…」
僕が思ったことを口にすると、
「光哉ってなんていうか、結構人を怖がってるよな…」
と俊和が呆れるように呟いた。
幸政は、
「しょうがないだろ、最近物騒だし」
と少しだけ同意を見せた。

俊和が指摘するように、僕は人間恐怖症だ。やっぱり前世のトラウマなのだろう。よっぽど親しくなった人でもない限り、僕はなかなか心を開くことができない。

「なんだよ、付き合い悪ぃな」
ぶーたれた同級生に、俊和が
「光哉が『罠かもしれない』って言ってるぞ」
と返す。
「罠?どういうことだよ、時任」
「今までその空き家に何度か入ってたんだろ?その時には本はなかったんだろ?」
「ああ」
「ってことは、他にも空き家に入ってその本を捨てた人がいるってことだよ、その人と遭遇したら大変だよ」
「う…」
少し怖気づいた同級生に、幸政と俊和が援護射撃をする。
「読みに来た奴らをごっそり捕まえて学校に連れていくのかもしれない」
「いや、『読書料何万円持ってこい』とか言われるんじゃね?」
「なんだよそれ…そんなやついるのかよ」

数日後、空き家に入り浸っていた隣町の高校生が管理者に見つかって警察に補導されたという情報が入ってきた。エロ本はいわゆるグラビア雑誌というやつで、万引きしたものだったらしい。元警察幹部の生駒さんのおじいさんが通報して、慌てて警察が駆けつけたとか…。
悪い人が本当にいたということで真面目ぶったいい子ちゃんと言われて嫌われることは避けられたようだが、警戒心の強い番犬みたいな奴という評判が広まってしまったようだ。

□■□

夏休みが明け、運動会の練習も修学旅行の準備も本格化してきた。
そして必ずある憂鬱なものが…『性教育』だ。宿泊研修で男女が間違いを起こさないようにすること、旅行中に女子が生理になってしまった時に対応できるようにすることなどが目的だから仕方がないのだが…この年になればさすがにみんな何となく『そういうこと』はわかっているから、オブラートに包まれ隠された教材ビデオの内容は胡散臭いとしか思えず、冷めた目で見ている子がほとんどだ。僕としても、理科の時間に習った牛の繁殖方法の方がよっぽどためになったと思う。

内容の薄い授業よりも憂鬱なのが、皐月がそれを見てどう思ったか探る必要があること。
数日間、話題に困る。敢えて避けるべきなのか、さらりと流すべきなのか、あるいは…。
ああ、何でこんなに僕が悩まないといけないんだろう。

(なお、皐月は『みーくんは産婦人科医は目指さないのかなあ』などと考えていたようです。)

□■□

運動会。皐月は運動が苦手だから憂鬱そうにしている。みんなの前で運動するのが恥ずかしいとのことだ。
「中学校になったら大人の人たちは来なくなるから、少しはマシになるのに」
と皐月はぼやく。
中学校の体育祭は小学校よりも楽しいと噂に聞いている。平日開催で保護者が見に来なくなるから、お客様に見せるための運動じゃなくて、自分たちのための運動になるからだと。
僕も、小学校6年生の運動会がこんなに窮屈なものだとは思っていなかった。組体操は当然として、本来準備運動であるはずのラジオ体操すら綺麗な見栄えを意識してやるようにと言われているのだ。
これでは、まるで………

ああ、そうか。前世のあの国王は『観兵式』が好きで、よく軍隊に開催圧力をかけていたんだった。美しく強い兵たちを自分の指先一つで動かせることが王の自慢だった。
転生後のこの世界でも、独裁者たちはそういうものを好みがちだ……世の中はそういうものなんだと思った方がいいんだろうな。

前世のことを思い出してしまうとあまり楽しむ気にもなれなくて、とりあえずやるべきことだけこなしているうちに小学校最後の運動会は終わってしまった。

□■□

運動会が終わって、修学旅行までの間だけ日常が戻ってきた。

やっぱり前世の記憶は邪魔なのではないかと、そう思う今日この頃。

前世のあのつらい記憶がなければ、皐月が隣にいることは当たり前だと安心してだらけきっていたかもしれないし、今の生活がいかに恵まれているかも知らなかっただろうけど…。

それでも、やっぱり前世のことを覚えているのは『反則』だと思う。

「みーくん、最近元気ないね…大丈夫?」
「あ、うん……ちょっと疲れ気味、かもしれない」
「剣道?それともお勉強?」
「うん…」
「修学旅行にまでは元気になってね?一緒に行けなかったら、私悲しいから」
「…」

皐月にそう一言言われるだけで今すぐはしゃぎたい気分になる自分、いくら何でも単純すぎるだろう。

□■□

明日から修学旅行。
京都はもうすぐ紅葉の季節で混雑しているから、自由行動の時間が当初の予定よりも短くなるらしい。

「そんなに混雑してるなら、はぐれちゃったらどうしよう」
不安そうな皐月に、
「光哉くんにずっと手を繋いでもらってればいいのよ!」
と煽るツネちゃん。
「修学旅行は授業なんだからあまり浮かれすぎないでね」
先生、呆れたように言ってますけど、やりませんから。

林間学校のときはあれほど『皐月を危険から守るんだ!』と意気込んでた僕だけれど、今は人の目が気になってしまう。僕はともかく、皐月はすっかり背も伸びて大人の女性に近づいている。そんな皐月が男の子とずーっと手を繋いでいたら、どんな噂を流されるかわからない。

でも、危ないときにちょっとくらいはいいかな、緊急避難だから。

□■□

ついに修学旅行の日がやってきた。
着替えが入った重いバッグを担いで、高速バスに乗り込む。
僕らの住む県は京都・奈良とは比較的近い。他県出身の母さんからすれば「そんなに近場でいいの?」というくらい近いそうだ。(関東の子たちは日光に行くらしい…。)
(地方だから)車に乗り慣れているのでバスに酔う子もいなくて、みんなでおやつを交換しながら楽しくバスガイドさんに自己紹介。バスガイドさんは綺麗なお姉さんで、『惚れそう』『いい』と騒ぐ男子たちを横目に、僕は向こうの席の皐月の様子を伺っている。

クラスの目ざとい女子たちが、
「あー!左手薬指に指輪してる!」
と騒ぎ立て、バスガイドさんから色々と聞き出そうとする。
「二日目に行く地主神社は縁結びの神社ですから、ご利益がありましたね~」
バスガイドさんはあしらい慣れているようだ。
「「きゃー」」
女子たちの黄色い声が上がった。
ツネちゃんと小松川さんも手を取り合って、
「私お守り買おうっと!」
「あたしも!」
と話す。
「相手がいらっしゃる方は、素晴らしいご縁が続くようにとお願いしてくださいね」
バスガイドさんが言うと、皐月が僕の方を振り返ってくれた。多分バスガイドさんは先生(去年結婚)に言ったんだと思うけど、目が合って嬉しかった。

一日目は奈良。仏像や建造物を見学したあと、班行動で奈良公園の鹿と戯れる。班にひとつ支給されたインスタントカメラで記念撮影。そんなこんなで時間が過ぎていく。鹿に囲まれているので、あまり皐月とデートしているという気分にはなれない。
「ほら、せんべいだぞ」
鹿せんべいを差し出してみるが、鹿たちは何故か安田くんの方に集まっていって、僕には見向きもしない。
「みーくんあまり動物は得意じゃない?」
「そうかも…」
落ち武者の幽霊が憑いている、という噂が出たこともあったけど。僕の負のオーラを動物も怖がっているんじゃないだろうか。命をなんとも思わないようなことをしてしまったのが前世の僕だから。
「落ち込まないでみーくん…というか異様に安田くんが好かれてるんじゃない、これ」
みるみるうちに鹿の群れに囲まれていく安田くんを見ながら、皐月が呟く。
「いるよな…そういう人」
動物に好かれる人というのは、それだけ優しいオーラを放っているんだろう。
「笑ってないで助けてくれよ!」
安田くんの声が響いた。

泊まるのは京都なので、バスで長時間移動して、暗くなってからようやく宿に着いた。
トイレに行ったらすぐに夕食(懐石風の御膳だったけど、そこまで美味しくはなかった…)。その後部屋で今日の学習のまとめをやって先生に提出。空き時間でテレビを見て、それからお風呂だ。修学旅行の日程は目まぐるしい。
服を脱いでいると、クラスの男子から声をかけられた。
「時任」
「ん?」
「なんだ、彼女がいるって言うからてっきりもう生えてるのかと思ったのに」
「いや、彼女のいるいないは関係ないだろ…」
「なーんだ、つまんね」
女子だけではなく同性からも、彼女がいるイコール早熟だと勘違いされているようだ。決してそんなことはないのに…。

風呂を終えて歯を磨き、消灯の準備をする。同室にはクラスの男子の1/3がいる。
誰からともなく
「女子みたいに恋愛の話しようぜ」
という話が出たが、実際のところは僕と皐月がどこまで行っているか知りたいというだけなのだろう。
「もう雨原さんの胸は揉んだか?」
「そ、そんなことできるわけないだろ…」
僕は正直に答える。とはいえ、ジェイドはアザレアとそういうことをしていた記憶があるので少し後ろめたさも感じつつ。
「そりゃそうだろ、時任はくそ真面目だもんな」
「せいぜいキスくらいじゃねえの」
「それも…まだだよ」
「は?」
「それって付き合ってるうちに入るのか?」
「女子で一番仲がいいってだけじゃねえの?」
友人たちの言葉がグサリと突き刺さる。

皐月は本当に僕の彼女なのか?
幼馴染と何も変わらないのではないか?

大人になったら旅行に連れていくと約束したとか。
将来研修医になって、辛い目に遭ったら抱きしめてあげると言われたとか。
そういう未来の約束があるから、僕は皐月を自分の恋人だと疑っていなかった。
けれど…。

ウジウジと考えているうちに、疲れていた僕はいつの間にか眠っていた。

□■□

修学旅行二日目。

朝食をさっさと食べると、バスで京都の史跡を見学して回る。
二条城、北野天満宮…それから清水寺。
バスガイドさんが紹介してくれた縁結びの神社…清水寺の地主神社だ。
恋占いの石に願掛けをすると恋が叶うという。
キャッキャと楽しそうにチャレンジしている観光客を見ながら、女子たちが
「やってみる?」
「私はいいや」
「目隠し恥ずかしい」
と尻込みしている。

僕もやるべきなのかと考えていると、
「みーくん、どうしたの?」
と、皐月が心配そうに声をかけてきた。
「あ…えっと…」
「何か願掛けするの?大黒さまに頼んでみる?」
「昨日……僕と皐月はまだ付き合っていないんじゃないかって言われて…それだと縁結び、必要じゃないかな」
「え~!?付き合ってなかったの、私たち!?」
皐月は目を丸くする。
僕は昨日言われたことをなるべくマイルドにして話した上で、
「キスもしたことないのに付き合ってるって言えるのかって言われて…」
と、打ち明ける。
「そんなこと言われても……」
皐月は困惑した表情で頬を染めた。

「でも皐月は付き合ってるって認識してくれてるんだな」
すると、皐月は消えそうな声で、でも確かに言ってくれた。
「小学校4年生から付き合ってるって思ってるもん…」

「それなら、いいんだ」
気分が晴れていくようだった。
周りに何か言われたり、前世のジェイドとのギャップに悩んだりすることもあるけれど、皐月の言葉があれば…僕は頑張れる。

「とりあえずいいことがありますようにってお願いだけはしていきましょ」
「それからお土産におまんじゅう買っていこうか」
「うん」
思わず手を繋ぎそうになって、修学旅行中だと慌てて思い直した。

金閣寺周辺で班行動になった。
「二人とも何かあった?」
僕たちに漂う甘い雰囲気に気づいたらしい安田くんが尋ねる。
「さっき地主神社で皐月と結婚できるようにって願掛けしたんだ」
「夫婦円満には大黒様の俵を撫でるといいって教えてもらったの」
「へー、そう…」
呆れたような返事が戻ってきた。
「そうよね~、二人はもう夫婦よね~」
ウンウンと頷くツネちゃん。
「やっぱり!先生も俵撫でてたし!」
小松川さんは何か納得したようだ。
「とりあえず二人だけでどっかに行かないでね」
安田くんはそう言って溜息をついた。(高いところが苦手だから、清水寺で気力を使い果たしたみたいだ…。)別に修学旅行でわざわざ駆け落ちをやらなくても…と思うけれど、林間学校の時にちょっとだけそういうことを考えてしまったことがある以上、反論はできなかった。

僕はあの頃に比べて少し大人になって、無茶なことを考えなくなった。
これは『僕』の成長であって、前世の『ジェイド』に近づいているのとは違う。
皐月が傍にいてくれなければ頑張れない自分が情けないけれど…せめて皐月が好きでいてくれるような人でありたい。

学校に戻ってきたのは夜、もう暗くなった頃。
母さんが車で迎えに来てくれていた。
「皐月ちゃんも一緒に帰りましょう」
「はい」
僕と皐月を乗せて、車は家へと向かう。

修学旅行中は許されなかったので、車の中でこっそりと皐月の手を握った。
皐月は何も言わず、握り返してくれた。

□■□

『アザレア…』
『ジェイドさま…』

あれからも前世の夢は見るけれど、相変わらず他人事だ。ジェイドもアザレアも僕と歳が違いすぎる。
前世の僕たちは貴族だから子供を残さないといけなくて、そのために必死に子供を作っているのだというのは何となく察することができるようになったけれど。

前世の夢の方が刺激は強い。でも、僕としては皐月の夢の方がドキドキするし、幸せな気持ちになる。
最近たまに皐月の夢を見る。僕の夢の中で皐月は、僕のことを褒めてくれる。『すごいね、みーくん』『みーくんはえらいよ』って、そのすべすべした柔らかい手で撫でてくれる。夢なんだけど、現実になってほしい。

昨日行われた音楽発表会では僕は取り立てて目立つこともなく終わった。褒められることなんてひとつもしていない。でも、褒めてほしい自分がいる。

□■□

音楽発表会が終わって練習から解放されるかと思いきや、今度は2学期のうちから卒業式の練習が始まる。それが6年生というものである。これに加えて中学受験までする子は本当に大変だろう。とはいえ近場に目ぼしい私立中学が1校しかないような田舎だから、中学受験する子は学年で5人くらいだ。そのうち2人が目指しているのは、30分以上バスで揺られて通わなければいけない隣の市のインターナショナルスクール。将来的に海外移住の可能性があるとかないとか…。
僕は3月から塾に通うけれど、それに比べれば能天気な暮らしをしている。これでいいんだろうか?医者を目指すなら、英語に加えてドイツ語もマスターしないといけないと聞くけれど…。

4月からNHKのドイツ語講座をラジオで聞こう…そう思って父さんに相談したら、卒業祝いにCDラジカセ(MD使用可能)を買ってもらえることになった。

□■□

忙しかった1998年ももうすぐ終わる。
通知表はたくさん◎が並ぶように頑張ったつもりだけど…家庭科はそうでもない。図工も技術的なものは問題ないけど、創造力については◎は貰えなかった。決まったものを決まった通りに組み立てることは得意だけど、独創性というものは全くない。
「みーくんにも苦手なものがあるのね」
「裁縫が…足を引っ張って…」
「それなら私の得意分野だからフォローできるよ、任せて!」
「皐月…」

修学旅行のときに結婚できるように願掛けしてから、皐月も僕との結婚に前向きになってくれた…と思う。嬉しい。すごく嬉しい。

でも、結婚は10年先だ。
それよりも、今すぐ褒めて撫でてほしい…そんなことを思う自分がいる。