田舎令嬢が初恋拗らせ男に囲い込まれた(?)お話

アザレア・エリカレスは田舎令嬢である。

エリカレス家は伯爵位を持ち、フルーメンという名の国境を流れる大河の側を領地としている。要は辺境伯である。河は災いと豊かな実りを土地にもたらした。ゆえに、この国における一族の役割は専ら治水と農業だ。遥か昔はもう一つ重要な役割、防衛があったが…戦の規模も戦法も変わった今となっては、その専門家である騎士団が砦に駐在することで解決している。尤も、隣国政権との関係は現在良好であり、むしろ不穏なのは隣国の内部因子の方なのだが。

まあ、そんな歴史を持つ家だから、フルーメンが持つ治水工事と農耕の技術は折り紙付きで、フルーメンは国の食糧庫と言われるほど。だから、この国でそこそこの領地を持つ貴族は、一度はフルーメンへと学びに来る。ただしその姿勢は、当主や跡取り自ら学ぶ家、専門家を育てるべく幹部を長期留学させる家、はたまた田舎者と見下して形だけしか学ばない家と様々である。

そして、客人として様々な男性が出入りする環境の中、嫁入り前の娘が平穏無事に育つにはどうすればよいか。答え、なるべく客人の目に触れさせないこと。

アザレアは年頃になってからは別邸に住み、必要とあらば領地の南部にある分家の屋敷(要は叔父の家)、乳姉妹の家を行き来している。別邸には母と下の弟もいるので寂しくはない。それどころか、客人が居ないときは当主たる父も嫡男たる上の弟も別邸に来て家族でのんびりしているのだから、もはや別邸の意味を成していない。昔はともかく今のエリカレス家は、貴族の自覚があるのか危ういほど大らかで庶民的であった。

このような生育環境によりアザレアは幼い頃から自然や農業に親しんで育った。マナーや礼儀作法は一通り身につけているが、良くも悪くも素朴な雰囲気は隠せないままである。黒髪と紫の瞳は凛とした印象を与えるため、すましていれば世間知らずで抜けていることは隠せるかもしれない。だが、華やかさを補うことは難しかった。

18歳を迎えたアザレアは成人の儀として父と共に都に向かい、国王と王妃に謁見した。

13年前、隣国の第二王女が大河を越えて王太子…現国王に嫁いできた。地理的に隣国と最も近いフルーメン伯が道中での饗しを行い、幼いアザレアは王女に花を運んだ。大役を背負い緊張したお姫様にとってそれはとても嬉しいことだったのだろう。それから王妃はアザレアを気にかけている。

特別扱いされているというほどでもないのだが、王妃のお気に入りをよく思わない者は沢山いるから、初めての夜会にてアザレアは嫉妬され《田舎娘》と陰口を叩かれた。慣れない事態に困惑するアザレアに、王妃は一人の青年を引き合わせた。

アザレアの幼馴染であった若き侯爵、ジェイド・ラファティを。

アザレアは年頃になってから、留学生から隠されるように育てられてきた。逆に言えば、子供の頃は普通に留学生と顔を合わせ、遊んでもらうこともあった。

ジェイドはアザレアより3つ年上。ラファティ家が治めるアークジョイン侯爵領は王都に隣接し近郊農業の盛んな地であったから、彼は10歳の春から半年間フルーメンに留学していた。銀の髪に碧の瞳はとても美しいが、しょっちゅう難しい顔をしていた、真面目を絵に描いたような少年であった。留学生は成人年齢である18歳前後の者が多い中、子供が来るのは前代未聞。子供なので社交のことを考えず長期留学が可能だったわけだが、子供が学ぶには難しい内容だった。それでも彼はよくついてきた。学び終わるまで帰らないという覚悟があった。

伯爵夫妻は3人の子を持つ親の身。子供の彼を気にかけ、世話を焼いた。アザレアは遠慮なく彼に話しかけ、時に甘えた。周囲にいる男の子は弟2人に従弟と年下ばかりだったから、年上のお兄さんに憧れたのだ。ジェイドは表情こそ厳しいが心は優しく、アザレアの幼い我儘にも付き合ってくれた。

ジェイドは仕事で度々アザレアの父伯爵に手紙を送ってくるが、必ずアザレア達家族へ宛てた私的な手紙を同封してきていた。王都のことを教えてくれたり、健康を気遣ったり、欲しい本がないか訊いたり、たまにアザレアへのお世辞も書いてあったりと、アザレアにとって彼は変わらず優しいお兄さんだった。

手紙の向こうから姿を現した若き侯爵は、大変な美丈夫になっていた。鍛えられた身体、整った顔立ち、そしてまだ21歳とは思えぬほど落ち着いた魅力を放っている。色恋沙汰に疎いアザレアが思わず見惚れるほどに。だが、面影はありすぎるくらい残っている。髪や瞳の色だけではない、昔と変わらず難しい顔をしているのだ。

現国王は主要な領地を持つ貴族と可能な限り平等に親しくしており、ジェイドとも旧知の仲だ。真面目で堅物だと国王はジェイドをからかうが、その通りなのだろうとアザレアは思った。

「再びお目にかかれて嬉しく思います、フルーメン伯爵令嬢」

笑っているのかいないのかわからないが、幾分か表情が柔らかくなった。

アザレアは挨拶をする。

「右も左も判らぬ田舎者ですが、どうぞ宜しくお願い致します」

社交に出るのなら顔を合わせることも多いだろう。知り合いがいるのは心強い、ジェイド様は優しいからまた私を助けてくれるといいな、アザレアはそう思った。

「………」

だが、ジェイドの表情が厳しいものに戻り、少し後悔した。しかし、それも仕方ない。留学中にあれだけ子供の遊びに突き合わせたのだから、またお守りをさせられるのかとウンザリしてもおかしくはないのだ……図々しい期待をしてしまったと、アザレアは反省する。

その日アザレアは、父や王妃の助けにより何とか社交の場を乗り切った。ジェイドとダンスをしたが、フルーメンに呼ばれていた講師の如き真面目な踊り方でありいかにも彼らしいとアザレアは思った。

ここまでが第一段階である。

翌日。

エリカレス家のタウンハウスに、ラファティ家の紋章を身に着けた見栄えの良い使者が訪れた。届いたのは侯爵からの格式張った文書。御息女を妻に迎えたい、とある。

「……そんな素振りあったか?」

「一度ダンスのお誘いはありましたが、ジェイド様が私に恋をしたなどとは、到底思えなかったのですが……ずっと難しい顔をしていたので」

父伯爵もアザレアも喜びより困惑が勝った。アザレアは地味な田舎娘だと自覚しているし、伯爵とて侯爵様を一目で魅了するとはでかしたぞ、などと呑気にはしゃぐような性格ではない。大らかではあるが、厳しい自然を相手にしているだけあって考えなしの楽天家というわけではないのだ。なお、当の使者すらも

「無作法な主人をどうかお許し下さい、お返事は急ぎません!急がせないようにしますので!!」

などと口にしている。

とりあえず使者はとても困っている様子であったので、その日は客人用の部屋に泊めることにした。

とはいえ、翌日少し冷静になってみれば、エリカレス家に断る理由はない。相手は格上の侯爵家。真面目で領民からの評価が高い当主。そしてアザレアは幼馴染の優しいお兄さんとしてジェイドに好印象を持っている。さらに、留学期間が終わってからも伯爵を師と仰ぎ、農地運営や災害対策の相談を行うジェイドは、父にとって文句のつけようがない娘婿であった。

「侯爵は政略結婚を足がかりに出世しようというお考えはまるでないのだろう」

「成程……無欲な方ですものね」

アザレアは納得した。権力欲をぎらつかせる彼も、美しい女にうつつを抜かす彼も想像がつかない。あの真面目なお兄さんが一番望みそうなのは……領民が納得する妻だ。実家の権威を振りかざして威張らない、散財もしない、堅実な妻だ。反感を買わないのが第一なら、目立たないのはむしろ長所。アザレアが田舎娘のまま育っていたことが昨日判明したので、早めに手を打ったといったところか。21歳と18歳なら年齢の釣り合いも取れている。

あり得ることだと頭ではわかっている。条件が良いこともわかっている。しかし、

「まさかこんなに早く結婚の話が出るとは…」

娘を嫁に出す父親はなかなか割り切れぬもの。領地に残るアザレアの母と弟二人も突然の話に驚くことだろう。尤も、僻地ゆえに早馬でも報せが届くのは明日以降になるのだが。

「あの、ひとまず婚約…という形なのですよね?」

不安に思ったアザレアが使者…名はアランというそうだ…に尋ねると、

「勿論でございます、成人されたばかりのお嬢様をいきなり攫うなど、許されることではありません!」

と力強く答えた。さすがあの真面目なジェイドの部下であるとアザレアは思った。

すると、父伯爵は低い声で牽制する。

「同じことを領地の者たちも思うであろう」

「……はっ」

アランは深々と頭を下げる。

「…賢明な領主と名高いジェイド様らしからぬ行動ですね」

アザレア当人に嘆かれたことで、アランは焦った。かなり焦った。

「我が主はその、仕える身である私が言うのは何ですが、朴念仁でして!!」

「はあ」

確かに国王陛下も真面目すぎると仰っていたとアザレアはぼんやり思う。

「求婚という事態を前に、間違いなく混乱、いや乱心しておられます!」

主人に対しなかなかきついことを言っているこの方は苦労人なのかしら…とアザレアは少し心配になった。ちなみに彼はジェイドの乳兄弟なのでこの調子なのだが、今のアザレアには知る由もない。

あの私利私欲で動きそうもない真面目なジェイドがこき使っているのだから、それだけ信頼し、悪く言えば甘えているということだ。そして、自分も侯爵に仕え支える一人として求められているのだ……アザレアはそう解釈した。

「アザレア、お前は問題ないのか?侯爵のお人柄がどうという話ではなく、結婚すると夫人の役割に縛られることになる」

父伯爵は心配そうに尋ねる。成人を期に都会の暮らしを娘にある程度経験させようと考えていたからこそ、夜会に連れてきたのである。

だがアザレアは苦笑しつつ答える。

「特に遊びたいわけでもないですし……さすがに家から離れるのは寂しいですが」

アザレアは、遊びたいと思う以前に遊び方がわからない。贅沢をしようにも僻地ゆえに流行すら追えないのだ。田舎令嬢の悲しき運命である。

父伯爵は「大変名誉なことであり前向きに検討致しますが、準備期間を下さい」と綴った書状を持たせ、アランを帰らせた。

ここまでが第二段階である。

それから5日後の夜。アザレアは父伯爵と共にフルーメンの屋敷に戻った。勿論、ジェイドには事前に知らせている。この僻地を訪れて誠意を見せろ、ということだ。しかしジェイドにとっても悪い条件ではない。領地に残っていたアザレアの家族は勿論、温和で気取らないアザレアはフルーメン領民にも慕われる大切な存在なのだ。そんな彼女を急な縁談で掻っ攫うなどすれば、反感を持たれてもおかしくはない。だが、王都の近くに住む侯爵様がわざわざ遠くまで求婚に訪れるとあらば、その真剣さも伝わるということだ。

帰ってみれば、母伯爵夫人は喜んでいる。ジェイドの印象はすこぶる良いのだ。伯爵の側近や領民たちも最初は突然のことに戸惑っていたが、やがて彼なら幸せにしてくれるだろうと声を揃えた。ジェイドは真面目で礼儀正しく、勉学も武芸もよくでき、年下の子供にも優しい少年、悪いところは愛想が足りないくらいだ、と。

「みんなに真面目真面目と言われ続けて、ジェイド様は重圧ではないのかしら」

アザレアが零すように呟くと、

「今からそのように心を配られていらっしゃるのであれば、夫婦となられても何も問題はございませんね」

「仲の良い似合いの二人となりましょう」

と乳姉妹や使用人たちが嬉しそうに言う。

「元より私は何も嫌がることなどありません、ジェイド様は素敵な方です」

アザレアはそう言うが、彼女なりの打算があった。国内の何処かに嫁ぐとして、(領主の目が行き届く範囲では)ここほどの田舎はなかなか無い。遊び方も贅沢も流行も知らない田舎娘が社交の場でうまく立ち回れるだろうか。怖いし、面倒な事も沢山ある。この縁談を断ったとしてどうやって相手を見つけるのか見当もつかない。それなら……ジェイドに守られる方がいいと、彼女は考えたのである。

政略結婚はお互いに打算があるのが当たり前なのだが、利用する気満々なことに純粋培養の田舎娘は罪悪感を覚えるのであった。

その十日ほど後、ジェイド・ラファティはフルーメンを訪れ、改めてアザレアに求婚した。

「アザレア嬢、ずっと貴女に恋焦がれていました…どうか無作法をお許し下さい」

「ずっと…」

恋焦がれていた……?アザレアは首を傾げる。考えてみたが、やはりそうは思えなかった。恋をした相手に会えたら自然と嬉しくて笑みが溢れるのではないか、と。

だが、相手は国王陛下にすら真面目で堅物とからかわれる程の男。今の自分と同程度の好意、つまり《政略結婚の相手として好ましい》というレベルでも、当人や彼に親しい人物から見れば《女性に好意を持っているだけで奇跡!彼は恋をしている!》という程なのだろう…アザレアはそう解釈した。

「どうか私の妻に」

「はい、よろしくお願いします」

アザレアが微笑むと、本当に少しだけジェイドの瞳が揺れた。あ、これが喜んでいる顔なんですね、とアザレアは何となく理解したのだった。

そして婚約の指輪を取り交わし、婚約が成立する。掟破りの求婚であるから、準備は整っていない。しかしジェイドはアザレアに指輪を渡した。

(王都はこんなに早く指輪が作れるのね…?)

アザレアが都会の凄さに驚く中、父伯爵は指輪の代わりとして家に伝わる短剣をジェイドに渡した。

「我がフルーメン伯爵家が国境防衛の要職にあった時代のものです」

国防軍や騎士団が編成される前のことだから、それだけ歴史のある品だ。それを渡すということは……いよいよ自分は結婚するのだと、アザレアは緊張で体を強張らせた。

緊張するアザレアの様子を見かねた執事が伯爵に進言する。順番が逆ではあるが、二人で庭を散歩するように勧められた。

「素晴らしい庭園ですね…美しさと実益を兼ね備える庭園だと、伯爵から教わりました」

表情を変えないままジェイドは言う。

「ここには専門家が多く居ますので…」

アザレアは答える。薬草としても機能する花壇、食糧になる果樹、美しく管理された小川と池。ジェイドが留学中によく庭を散策していたのは、この庭に詰まった知識と技術をその目で覚えるためだ。幼いアザレアはそんなことも知らずにジェイドを庭遊びに付き合わせていたが。恥ずかしさで顔が熱くなるが、昔の優しい思い出はアザレアの緊張をほぐしてくれた。

二人はベンチに座り、花を眺める。

「二人で過ごす時間が取れたら…一番に渡したかった」

ジェイドはアザレアに小箱を渡す。言われるままに開けると、それは白金の髪飾りであった。

「綺麗…」

「……貴女の美しい黒髪に映える」

表情はあまり変わらなかったが、言葉に詰まったということは照れているのかもしれないとアザレアは直感的に思った。

「大切に致します」

「職人には、瞳と同じ色の宝石を使った首飾りが流行りだと言われ…確かに紫水晶も素晴らしいのだが……私はどうしてもこれを贈りたかった」

「流行りがあるのですか…?私はジェイド様が似合うかどうかを考えてくださったことの方が、とても嬉しいです」

アザレアは笑顔を浮かべる。九割は本音だが、残りの一割はジェイドが流行を追うタイプではないと確信できて安心した気持ちであった……ジェイドには言えないが。

「美しい物はいつ見ても美しいと思いますね」

「はい、私もそう思います」

バルコニーから見た月、山の方にある湖、金色の麦穂を思い浮かべながらアザレアは答えた。どれも変わらず美しいものだ。ジェイドは、じっとアザレアの方を見ていた。

ここまでが第三段階である。

約一月半の婚約公示期間を経てついにアザレアはラファティ家に嫁いだ。結婚式は王都の教会で執り行われ、国王陛下の名代として王妃が参列した。

「まるで月の女神のように美しいですわ」

侍女として一緒にラファティ家に赴くことになった乳姉妹が感極まって涙を流す。

フルーメンの娘たちは太陽をイメージさせる赤や黄色やオレンジの花嫁装束を着るのだが、王都では白い花嫁装束が主流であるという。今度は、白い方が似合うからと流行りのドレスを纏うことになった。あまりに地元と違うため、アザレアは私財を使ってでも衣装係を雇おうと思うのであった。

ラファティ家がアザレアに付けた侍女によると、ジェイドはアザレアに似合うか否かで判断しているそうである……が、

「旦那様は何でも似合うと言って聞かないので、こちらで調整させていただきましたわ……奥様の絵姿を描かせた絵師の腕が良くて助かりました」

と呟く。彼女に任せようとアザレアは思った。

花婿は今日も難しい顔をしていたが、正装がよく似合い美しかった。婚約期間に文通をするうちに純粋培養のアザレアはすっかり未来の夫に絆され、政略結婚なのにこんな素敵な方に嫁げるなんて幸せだと思うくらいには淡い恋心が生まれていた。そちら方面には不慣れなジェイドなので、文には近況と《アザレアに会いたい》ということしか書いていなかったのだが、鈍いアザレアには単純に《会いたい》と言われる方が効いたのである。

次に侯爵邸にて祝宴が行われたが、侯爵当人の結婚としては地味であった。真面目一辺倒な男の家の宴は案の定堅苦しいことで知られており、定期的に開催される夜会も政治や経済の話ばかりで、酒を飲んで浮かれたり男女の出会いの場になったり、といったことはほとんど無い。風紀を乱す者は容赦なく叩き出されるという。そのためか、祝福に訪れる貴族は多いが長居する者は稀だ。都会の喧騒に慣れていないアザレアからすればこのくらいで丁度良かった。

案の定、貴族たちの集まりは早い時間に終わってしまった。なお、領民たちには祝いの菓子やワインが配られたそうで、街では領主の結婚祝いと称してあちこちで夜通しの宴が開かれているそうだ。この土地での宴がどんなものか見てみたいと思うアザレアだったが、今日は大切な役目が残っている。

初夜を迎えるにあたって磨かれたアザレアだが、それほどは緊張していなかった。娯楽が少ない田舎ではどうしてもそちら方面の話が盛り上がりがちで、耳年増なのである。アザレアを客人の男たちから守ろうと気を回していた父伯爵だったが、同性の友人たちの下世話なお喋りからは守りきれなかったのだ。だがそのおかげで、何をどうするかはちゃんと理解していた。

「ジェイド様は何人くらい子供を望んでるのかしら」

アザレアは呟く。

すると、ラファティ家の侍女たちの目が泳いだ。

「え、ええ……旦那様は御きょうだいがいらっしゃいませんので、賑やかな方が嬉しいかもしれませんね」

「厳しい方ですが子供好きでもありますものね!?」

確かにジェイドは子供に対する面倒見はよかったので納得なのだが、しかしこの慌て方は何なのか、何か問題があるのだろうか……アザレアは首を捻り、自分なりに答えを出す。

(相手を取っ替え引っ替えしている不誠実な人ほど《上手》だと聞いたことがあるから、真面目なジェイド様はその逆なのね、きっと……)

なお、何がどうすれば《上手》なのかはわからないアザレアであったが、《下手だと痛い》というのはぼんやり知っていた。

「急に緊張してきたわ」

痛いのは嫌だから、というのは口に出さないアザレア。

「当然のことですわ」

そう言って侍女はアザレアに薔薇の香油を塗るのであった。

床に入り待っていると、ジェイドが現れた。

「アザレア……やっと君を妻にできたのだな」

「ジェイド様」

アザレアは薄すぎる夜着が恥ずかしくてたまらず、シーツを被って隠そうとする。

「子供の時からずっと、アザレアを妻にしたいと思っていた」

甘い言葉を紡ぐジェイドだが、相変わらず笑顔はない。だが、瞳が揺れている。ジェイドも緊張しているのだとアザレアは理解した。

「私は狡いのです、ジェイド様が夫であれば王都の怖い社交界でも護ってくださるだろうと、そんな打算で嫁いできました」

罪悪感で隠すことができず話してしまうと、ジェイドの表情が少し和らいだ。

「なんだそんなことか……私のことを頼れる男だとアザレアが思ってくれたのなら、それは喜ばしいことだ」

「そう…ですか?」

「君が頼る唯一の男でありたい……だから、お義父上や君の叔父君には今も昔も嫉妬している」

「……ふふ」

そんな冗談も仰るんですね、とアザレアは笑う。ジェイドはアザレアに口付けると、ベッドに押し倒した。

ひとまず初めての夫婦の営みを終え、二人は寄り添い横になる。

「痛かったか?」

「大丈夫です…」

会話で緊張をほぐしてもらったし、ジェイドはとても優しく紳士的だった。少し痛かったし血も滲んだけれど、それも先程痛み止めを飲んだので和らいできている。

「頑張って学んでよかった、勿論アザレア以外には触れたくないから、人体の構造を書いた医学書で……」

ジェイドはアザレアの黒髪を撫でる。

「そんな真面目なジェイド様が大好きです」

アザレアは笑顔でジェイドに抱きついた。

と。

ドクドクドクドク……と、凄い音がアザレアの耳に入った。早い鼓動を打つジェイドの心臓の音であった。

「……」

「あの、ジェイド様」

「アザレア…眠らないのか?」

「もしかして、その、今ものすごく興奮されてます……?」

アザレアは……ブチッ、と彼の我慢の糸が切れる音も聞こえた気がした。

先程は……ものすごく、とんでもないほど我慢して抑え込んでいたので優しく終わったのだ。この国随一と言っても過言ではないほど、真面目で堅物な男の鋼の理性によって。

「あ、アザレアぁっ!やっと、やっと結婚できた……っ!!」

「ひゃ、あ、あっ!?」

先程一度終わったのに急に貫かれ、アザレアは悲鳴を上げる。先程の優しさは何処へやら、ジェイドは強引にアザレアの身体を拓き奥へ奥へ進もうとする。

「ずっとこうしたかったんだ…!」

腰を打ち付けるかと思えば、思い出したようにアザレアをぎゅっと抱きしめて口付ける。ジェイドは暴走し完全にコントロール不能になっていた。

「ふうっ、はあ、や、やら、ジェイドさまぁ」

残る痛みと生まれる快感に混乱したアザレアは、夫にしがみついて背中に爪を立てることしかできない。

「すまない、アザレアっ…もう、我慢がきかない…!」

「あ、あっ、はあっ」

「そろそろ出る…っ」

まだ二度目では駆け引きなどできるはずもなく、ジェイドはただ絶頂に向かって突っ走るだけ。ぐいっとアザレアの腰を引き寄せると、子宮口を自身の先端でノックする。

「あ、あ、ああー」

背中を反らせて声を上げるアザレアにジェイドは噛みつくように口付けると、実を結ぶことを願いながら最奥に向けて大量の白濁をぶちまけた。

「くっ…」

「ジェイド、さまあ!!」

真っ白になる意識の中で、アザレアは愛しい夫の瞳を見た。快感に溺れた蕩けるような瞳。真面目な彼のこんな表情を見られるのは私だけ…無垢なアザレアに独占欲という気持ちが生まれた瞬間であった。

ここまでが第四段階である。

大暴走の後、深々とした謝罪とともにアザレアは夫の事情を知った。

ジェイドが3歳のとき、母が急な病で亡くなった。9歳で父も馬車の事故で亡くなり、家族がいなくなった。これはアザレアも幼い頃にジェイドから「両親はもう亡くなった」と聞いていたので、ぼんやり知っていたことである。

ここからはアザレアの知らない事情。侯爵の突然の死去で、ジェイドの父の弟が当主を代行することになった。彼は家を奪うような悪人ではなかったが、自分にも他人にも大変厳しい人であった。ジェイドがきちんと学んでラファティ家の当主に相応しい人物にならなければ、より相応しい当主を他所から迎える…そう伝えられ、彼は各地を回り勉学や鍛錬に励むことになったのである。

寂しいのに甘えることを許されなかったジェイドにとって、フルーメンでアザレアと過ごした日々は輝いていた。アザレアの方が遊んでほしいと甘えているように見えて、ジェイドの方が心慰められていたのだ。

疲れている時はお菓子を分けてくれた。勉強に詰まったときは森の散策に誘ってくれた。

亡き家族を思い出して寂しくて泣きそうな時は、ホームパーティーにジェイドも参加させてほしいとおねだりしてくれた。

寂しくて眠れない夜は、次の日に一緒に昼寝をしてくれた。

ジェイドは、自分の気持ちを誰よりわかってくれる優しいアザレアに惹かれた。優しいあの子がずっと側にいてくれたらどんなに幸せか。自分だけのものになってくれたらどれほど満たされるのか。結婚して子供が生まれたら、恋人だけでなく家族にもなれる……初恋を拗らせてゆきながらも、真面目な彼はアザレアを手に入れるためのルール違反…未成年のうちに領地に押しかけて口説くなど…ができない。

なお、成人前の婚姻契約は国の許可を得れば可能であり、上位貴族は漏れなくそうしている。正規の手続きを真面目なジェイドは望んだ。しかし、王妃に気に入られているアザレアを強引にものにすることについて、厳格な叔父は難色を示した。野心目的であると誤解されかねない、と。侯爵領は立地が良いため妬まれやすいことはジェイドも知っていたので、それ以上望むことはできなかった。なお、当のアザレアどころか父伯爵すら《王妃のお気に入り》を全く自覚していないようだが(尤も、そういった野心がない大らかな家だからこそ国王は王妃に贔屓することを許しているのだろうが)。

遊学を終えてさらに王都の学校を出ると、叔父は立派に成人した甥にすぐに当主の座を明け渡し隠居した。正式な当主となったことでようやくジェイドは動けるようになった。

アザレアへの拗らせた初恋はもはや執着に変わっていたが、ジェイドはこのまま猫を被ることを決めた。誰もが認めるような、羨むような仲の良い夫婦になればいい。誰にも文句は言わせない。手紙をこまめに送ってアザレアの家族に好感を持ってもらう。実務上フルーメン伯のアドバイスは必要だったので、私的な手紙を仕事の手紙に同封して近況を尋ねていた。あとは贈り物の髪飾りと婚約指輪を用意し、絵姿を描かせるために絵師を手配して似合う婚礼衣装を…。

……と、本人はきっちり囲い込みの計画を立てたつもりだったのだが、堅物すぎて色恋沙汰が全くわからない男の立てた計画は杜撰であった。前々から気にかけていたつもりだったが、鈍感なアザレアやフルーメン家の人々には全く伝わらず、あれほど《ルール違反》をすまいと自身を律していたはずなのに成人一日目に前触れもなく求婚という《マナー違反》をやらかしてしまい、乳兄弟にまで《乱心》と言われる始末。家格が上だから可能性が低いとはいえ、断られたらどうするつもりだったのか。アザレアが気の利かない恋文に失望していたらどうしたのか。そう、彼の計画はたまたまうまくいっただけであった。

その上、初夜の床でも嫌われてもおかしくない大暴走をやらかした今夜である。

ただ、アザレアは

(あまり痛くないなんて聞いていた話と違っておかしいと思った…ジェイド様は遠慮しすぎていたのね)

などと盛大に勘違いしていた。

「ジェイド様は意外と寂しがり屋だったのですね」

と、のほほんと言っている始末だ。

「そうだ、その上無愛想なのだから、たちが悪いと自覚している」

「はあ」

アザレアは意図してやっていたわけではない。食べたそうだからお菓子をあげた、眠そうだから一緒に寝た、そんな感じである。…けれども、言われてみれば確かに、ジェイドの僅かな表情の変化から気持ちを読み取っていたかもしれない。

「こんなに私のことをわかってくれるのに、自分のことには鈍いのだな」

「…世間知らずで申し訳ないです」

「結果として悪い男に攫われなくて済んだのだから、それでいい…社交では私がアザレアを守る」

「ジェイド様…」

「まあ、最初は野心で無理矢理王妃様のお気に入りの娘を手に入れたと邪推されるかもしれないが……正直すぐに真相はバレるだろうな」

そう言ってジェイドは少しだけ恥ずかしそうな表情を見せた。箍が外れてしまって、人前でもアザレアに触れずにいられる自信がないということである。

「それは困ります、真面目で堅物だと思われていたジェイド様が女性には情熱的だと知られたら……愛人希望者が出てきてしまいそうですもの」

アザレアは生まれたばかりの小さな独占欲を素直に話す。

「……っ、アザレア、3回目をしたくなるからあまり喜ばせすぎないでくれ!!」

幸せすぎて明日死ぬかもしれない…と、ジェイドは思うのだった。

数年後。

運河保守工事の視察を終えたジェイドは、急いで屋敷に戻ってきた。

「アザレア、帰ったぞ」

「お帰りなさい、お出迎えできなくて申し訳ありません…急に眠くなってしまったみたいで」

「こればかりは仕方ないな」

ジェイドはアザレアの膝で眠る息子の髪を撫でた。2歳になったばかりの息子は顔立ちも綺麗な黒髪も母親似だ。瞳の色は父親似なのだが、今は見ることはできない。

「遊び疲れたみたいですね」

「跡取り教育を始めるまでは、毎日元気に楽しく遊んでもらいたいものだな」

「ふふっ」

ジェイドは息子を自ら抱き上げて子供部屋に運ぶと、ベッドに寝かせた。その寝顔を二人でしばし眺めてから、そっと部屋を出る。

「アザレアが仲介してくれた技師たちが優秀なおかげで、工事は順調だ」

「それはよかったです、この分野はフルーメンの数少ない強みですから」

アザレアは夫の政務を支える上で役目を立派に果たしており、運良く嫡男も授かった。政略結婚の貴族令嬢に求められる結果をほぼ残した彼女を、田舎娘と馬鹿にする人はもういない。

また、ジェイドの予想通り、二人のあまりの仲睦まじい様子に野心を疑う者は誰もいなくなった。アザレアの予想した愛人希望者は現れなかったが、これは王妃に告げ口でもされたらかなわないと怯えているからである。相変わらず自身の価値には鈍いアザレアであった。

「さて、私達も部屋で過ごすか」

ジェイドはさらりと言うが、アザレアは

「…まだちょっと時間が早くないですか?」

と、頬を赤らめる。拗らせた初恋はそう簡単に解けるものではなく、今でもアザレアが横にいることが嬉しくて信じられないジェイドは頻繁にアザレアを求めている。一生側に居てもらうことが最終目標なので、最終段階は死が二人を分かつまで続く。

だが、ジェイドの穴だらけの計画で囲い込むことができたのは、アザレアが逃げなかったからである。

「一緒に湯浴みするか」

「…お風呂では変なことしないで下さいね」

「ダメか?」

「……終わってからゆっくり一緒に眠れる方がいいので」

「そ、そうか、それなら…ちゃんとベッドに行こう」

逃げるどころか、夫を尻に敷いていた。

アザレアに言われたとおりお風呂では我慢したジェイドは、ベッドでアザレアを思う存分愛でることにした。だが、焦らされた分だけ愛撫が早急だ。分身は妻のナカに入りたくてぎちぎちに張り詰め、先走りも滲んでいる。

「ん…ジェイド様…」

「…そろそろ挿れていいか?」

「はい…」

ジェイドに情熱的に求められる悦びを知ってしまったアザレアは、この数年で夫が気持ちよくなるように合わせることを覚えていた。腰に脚を絡め、うまく角度を変えて夫を受け入れる。

「……っ、危な」

ジェイドが快感に負けて余裕がないとか、持っていかれそうになって必死で耐えているとか、そういう情けない部分もアザレアには筒抜けだ。ジェイドは自分の気持ちを察してくれる優しい子に恋をして妻にしたのだから、気づかれてしまうのは当然の結果である。

「ジェイド様」

「ああ、ダメだ、全然我慢できない……」

ジェイドは少し落ち着いたらしく、ゆっくりと腰を動かしはじめる。

「は、ん……」

「いつも余裕がなくて恥ずかしいことだが…たった数日我慢するだけで辛い…」

比較対象がないアザレアは、男の人は好きな人と身体を繋げるとみんなこうなるものだと思っている。自分が巧く合わせているからジェイドが虜にされているなどとは思いつきもしない。

なお、ジェイドとて馬鹿ではないので、回数をこなすうちに経験則でアザレアの身体を開発してはいる。

「あ、は、あっ……!」

執拗に胸を弄られ達してしまったアザレアを、ジェイドは嬉しそうに眺める。

「可愛いな、アザレア……」

「ジェイド、さま」

身体が少しだけ離れてしまったので、アザレアはもう一度ジェイドにしがみつき直す。それはジェイドに僅かばかり残っていた余裕を完全に吹き飛ばした。

「アザレア…!」

アザレアはジェイドの膝の上に座らされ、強く抱きしめられたまま激しい突き上げが始まる。寂しがり屋の彼は、密着度の高い体位が好きだ。

「あっ、や、やあっ、はあん!ジェイド、さまあっ!」

アザレアは自分でも気づかないうちにタイミングを合わせ、奥に届くように腰を揺らしている。剛直が深々と突き刺さり、アザレアの最奥部を擦る。

「アザレア、好きだ、ずっとずっと…側にいてくれ!」

ジェイドの瞳が熱に揺らぐ。アザレアは夫のこの瞳が好きで、自身も熱に囚われてしまう。

「私も…大好きです…」

アザレアがうっとりと呟いた。

「出すぞ、アザレアっ」

「ん、んっ」

「っぐっ…!」

ジェイドが身体を震わせ絶頂を迎える。迸る白濁がアザレアの奥を濡らした。

「ーーっ!」

声にならない声を上げてアザレアも再び達し、それを目一杯受け止めていった。

「どんどんアザレアに依存してゆく…人としてこれでいいのだろうか…」

事後、ジェイドはよく罪悪感に苛まれている。たまには優しく抱こうと思っているのに、いつも最後は暴走してしまう…口ではそう言いつつも下半身は正直なもので、2回目を求めて再び硬くなってきているのだが。

「問題ないですよ?そろそろ2人目が欲しいです」

アザレアは煽っているつもりはないし、夫に抱かれるのが嬉しいのも2人目の子供が欲しいのも本音だ。

「どこまで私を喜ばせてくれるんだ、アザレアは」

「喜ばせるために言っているつもりはないのですけど…」

アザレアが首を傾げると、ジェイドは再び愛しい妻に覆い被さるのだった。

アザレア・ラファティは元田舎令嬢である。

野心のない大らかな家族と共に育ち、都会に出た後も過保護な夫に守られた鈍感な令嬢である。

自分の持つ政略的な価値にも、段階的に囲い込もうとしていた夫の計画の杜撰さにも、その夫を自分の側から完全に落としてしまった才能にも、当の本人はやはり気づかないままなのであった。