僕のことを好きになって

 

真面目。
堅物。
いつも眉間に皺を寄せている。

そう言われてきたジェイド・ラファティ侯爵だが、今となってはすっかり妻のアザレアに骨抜きにされている。
あの侯爵が、と世間の人々は驚くが…元からアザレア以外に目をくれなかっただけなのでジェイドとしては一貫していた。先程の評判は遊びへの付き合いの悪さへの揶揄や、社交界で見向きもされなかった女性たちの恨み言だろう。

そんな愛しいアザレアが息子を出産したのだ。当然ながらジェイドの愛情も増すばかりである。
「お帰りなさいませ…ジェイドさま、お仕事お疲れ様でした」
「アザレア…」
「フリント、お父様が戻られましたよ」
アザレアが言うと、乳母に抱かれていた息子のフリントはジェイドの方をじっと見る。顔立ちも髪の色もアザレアによく似ているが、瞳の色だけはジェイドと同じ緑色だった。
「あー、うー、む、い」
もうすぐ7か月になるフリントは、喃語を発して一生懸命父親に何かを伝えようとする。その姿がとても愛おしかった。
「そうか、今日も言葉を練習しているんだな」
デレデレと甘やかしたい気持ちを必死に押し殺して、ジェイドは息子の頭を撫でて褒めるのだった。…アザレアにも従者たちにも侯爵の親馬鹿はバレているのだが。

そんな風に幸せな暮らしに浸りすぎたジェイドなので、自分が昔どうやって『堅物侯爵』として生きていたのか思い出せなくなっていた。今だってこの通り、アザレアを抱きしめて眠りについている。
(もしアザレアと離れることになったら…昔の堅物に戻るのは無理だ、きっと泣いて縋るだろう)
と、ジェイドは考える。有事の際はそうもいかないのが上に立つ者の役目なのだが、自分はそれをきちんと果たせるだろうか。

……その夜、そのようなことを考えながら眠りについたせいか。
ジェイドは昔の夢を見た。

□■□

「ジェイドさま、一緒にベリー摘みに行きましょう」
(随分急だなアザレア……何だか声が高くないか?)
ジェイドが違和感を覚えつつ目を開けると、目の前に居る愛妻は10歳に満たないであろう子供だった。
「起きて、ジェイドさま」
「アザレア、その姿は…!?」
驚いてそう発した自分の声も、やっぱり高い。慌ててジェイドは身体を触り、窓ガラスに映りこむ自分の姿を確認する。そこには、アザレアより少し背が高いだけの少年がいた。
「!?こ、これは…どういうことだ……」
「?」
ジェイドは慌てて周囲を見渡し、この状況を把握しようとした。そしてここは……フルーメンに留学中、自分が借りていた部屋だとジェイドは思い出す。
時が戻ってしまったのかとジェイドは一瞬考えた。しかし、机の上を見ると虹色に輝くチョコレート菓子があったり、棚に並ぶ本の背表紙に書いてある文字がぐにゃぐにゃになっていたりと、この世界は明らかにおかしかった。
(これは夢か…)
と、すぐにジェイドは勘付く。しかし、夢と気付いても目が覚める気配はなかった。
「ジェイドさま?」
首を傾げる幼いアザレアに、ジェイドの胸が高鳴る。彼女は幼い頃の自分が恋したアザレアで、今の自分は幼い自分なのだから当然だ。
今思えば、昔の自分は頑なだった。立派な侯爵になるためには恋なんていけないことだと気持ちを封じ込め、アザレアの誘いを何度も断っていたのだ……よくそんなことができたものだと、アザレアと結婚した後のジェイドは思う。

そこに、
「アザレア、ジェイドくんは勉強続きで疲れているのだから、ゆっくりさせてあげなさい」
アザレアの父、フルーメン伯爵の声が響く。親を亡くしたジェイドを客人ではなく家族として接してくれた恩人だ。しかし、幼いアザレアの父親つまり若い頃の姿ではなく、少し老いた『今の』フルーメン伯爵の姿であった。もう少し完成度の高い夢を見れば良いものを、とジェイドは自分自身にぼやいた。尤も、義父の姿の矛盾はここが夢の中であることを確信する要素のひとつではあったが。

「はあい…お父様」
残念そうに部屋を去ろうとするアザレアの手を、ジェイドは掴んだ。
「待って…」
「え?」
「一緒に行こう、アザレア」
昔は勉強ばかりしていたかもしれないが、今は夢の中だ。少しくらい楽しんでもバチは当たらないだろうとジェイドは思った。
「……はい!」
アザレアは変わらぬ笑顔を輝かせて、ジェイドの手を握り直すと外に駆け出した。行っておいで、と言うようにフルーメン伯爵は手を振って見送ってくれた。

ジェイドの記憶では、ベリーが採れる林は伯爵家の庭なので人の立ち入りが多く、だからこそ子供たちだけでも行ける場所だった。だが、今は夢の中なので、林にはジェイドとアザレアの二人しかいない。
「ジェイドさま、ベリーがたくさん採れたらパウンドケーキを作ってもらいましょう」
アザレアの笑顔を見たジェイドは、ずっとずっとこうやって隣で笑っていてほしいと心から願う。
(夢なら少しくらい私の自由になるだろうか…もしそうなら、アザレアを喜ばせる何かが出てきてくれたらいいのに)
ジェイドがそのように考えると、二人の行く先に白い何かが広がる。そこには名前も知らない、或いは現実には無く夢の中でだけ存在するのかもしれない花々が、可愛らしく咲いていた。
「わあ!お花がたくさん咲いてる!」
アザレアはアメジストの瞳を輝かせ、花畑に駆け寄る。
「…花」
どうやらジェイドの願いは叶ったらしい。
アザレアは花を摘むと髪飾りとしてつけた。黒髪に白い花がよく映えている。
「アザレア」
「はいっ」
アザレアには白い花が似合うと心の奥底で思っていたから夢の中に花畑が現れたのだろう、とジェイドは思う。それならば子供のときくらいは素直になろうと、ジェイドは子供の頃の自分が言わなかったことを口にした。
「……よく似合ってる」
「ほんと…?ありがとうございます、ジェイドさま」
アザレアは少し頬を染めて、心から嬉しそうに微笑んだ。
(可愛い…)
ジェイドの胸の鼓動はますます速くなった。

この夢の中ではシチュエーションこそ子供の頃に戻っているが、ジェイドが実際にフルーメンに留学していた頃と決定的に違うことがある。大人になったジェイドは愛しいアザレアと結婚することができたのだ。
周囲からは真面目な堅物が柔らかくなったとよく言われ、真実の愛を知ったのだ、とすら言われることがある。実際のところは夢を叶えて箍が外れたのだとジェイドは自覚している。
だが、恋焦がれた相手に伴侶として愛されて、浮かれない者がどこにいるだろうか。ジェイドはもう戻れなかった…アザレアと暮らしていなかった頃には。
だから愛情表現を抑えることなんて、出来なかった。

ジェイドは高鳴る胸と衝動に従うまま、アザレアの手を取った。
「ジェイドさま?」
「アザレア…」
首を傾げるアザレアをよそに、ジェイドはまるで愛を乞う大人のように跪きアザレアの手に口付けた。
「え、ジェイドさま!?」
戸惑うアザレアに、ジェイドは告げる。
「アザレアに相応しい立派な大人になれるように努力する……だから、どうか…結婚してくれないか」

僕と結婚してください。
僕のことを好きになってください。

本当は幼い頃にアザレアに告げたかった、その言葉を。

「結婚…?」
案の定、アザレアは目を丸くしてキョトンとしている。
「だめか?」
おそるおそるジェイドが尋ねると、アザレアはにこりと笑った。
「私、もうジェイドさまのこと大好きですよ?だから、ジェイドさまのお嫁さんになります」
ここはジェイドの夢の中。願えば自由に花が出せるような夢の中。だからアザレアが断るはずもないとジェイドは理解している。
けれど、それでもジェイドは嬉しくてたまらず、
「やった!」
と、アザレアを抱きしめるのだった。

□■□

「ん…」
その瞬間、ジェイドは現実に戻ってきた。
目に映るのは見慣れた自室でありジェイドはほっとしたが…腕の中にアザレアはいなかった。
(おかしい、アザレアを抱きしめて眠ったはずなのに…)
ジェイドは慌てて周囲を見渡し、アザレアを探す。
が、すぐにジェイドはアザレアを見つけることができた。アザレアは寝巻き姿のまま、部屋の奥に佇んでいたのだ。

「ジェイドさま、起こしてしまいましたか…申し訳ございません」
同じ部屋の中に愛しい妻の姿を見つけて、ジェイドは内心ほっと胸を撫で下ろす。
「……何かあったのか?」
「あ、いえ、フリントの笑う声が聞こえた気がしたので…」
アザレアは子供部屋の方を向いて耳を澄ませていたようだ。
「しまった、もうフリントが起きているような時間か?」
「いえ、今しがた日が昇ったばかりです」
それを聞いたジェイドは寝坊したわけではないと知って安堵した。子供が元気なのは結構なことだが、乳母や世話係を困らせていないか親として心配ではある。だからこそアザレアも目を覚ましてしまったのだろう。
「早起きしてはしゃぎ回っているのだろうか、まだ7か月だというのに力が有り余っているな」
「ふふ…あの子はジェイドさまではなく私に似たのですね…私も朝早く起きて、ケイトを起こして遊びに連れて行こうと無理を言ったものです」
アザレアはそう言って笑った。
その言葉で夢の中の幼い彼女の姿を思い出し、ジェイドは胸が切なくなった。

「アザレア…」
ジェイドが名前を呼び手を伸ばすと、アザレアはそれだけで察したようで、ジェイドの腕の中に戻っていった。
「ジェイドさま」
「……」
「悪い夢を見ましたか?」
優しく尋ねるアザレアに、
「そういうわけではない」
と、ジェイドは答える。夢の中では思う通りになったのだから、あれはむしろ良い夢であったのかもしれない。が、目覚めた時に隣にアザレアが居なければ悪夢と大差はない。
「では…」
「『好きになってくれ』とアザレアを口説く夢だった」
「まあ…昔の夢ということですか?でも、ジェイドさまが私を口説くだなんて…」
アザレアは意外そうに目を丸くする。
「俺はどうしようもなく甘ったれになってしまったようだな」
ジェイドは開き直るように言うと、アザレアをますますきつく抱きしめる。
それを聞いたアザレアはクスクス笑うと、
「ジェイドさまは普段真面目すぎるのですから、少し甘えるくらいがちょうど良いのですよ」
と言って、そっと夫の背に手を回すのだった。