転生夫婦譚 第2話 1994年

1994年。

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お正月。
初詣に行って、皐月ちゃんと会ったので新年の挨拶。
おじさんが痩せていてびっくりした。
そりゃそうだよね。あんなに忙しいんだもん。
お父さんとお母さんも心配そうにしていた。おばさんも悲しそうだった。

皐月ちゃんは今日も星香ちゃんの世話をしてた。
星香ちゃんはもうすぐ6歳。4月から1年生。
「せいかにもじぶんのへやができるの、もうこれでせいかにものをこわされなくてすむ」
って皐月ちゃんは言う。どれだけ壊されてたんだろう?

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これまでのバレンタインにはお母さんがチョコバナナののったホットケーキを作ってくれたんだけど、今年は皐月ちゃんからもらえるかな…?貰えたら嬉しいなあ。

さりげなく話題をふってみることにした。
「ツネちゃんからバレンタインチョコをもらってるんだよね」
「そうなの!?」
「うん、おみせのチラシといっしょのやつ、女の子でももらえるよ」
「あ、おみせか~」
常川酒店は駄菓子も売ってるからね。
「ツネちゃんがあげるなら、わたしもあげようかな」
「ほんと!?」
「うん、みつやくんととしかずくんとゆきまさくんにあげる、あとおじさんにもあげるね、お父さんのかわりにあそびにつれてってくれるし」
「…うん」

お父さんと同じ扱いなのはちょっと寂しいけど、貰えるならいっか!

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バレンタイン、皐月ちゃんに手作りのクッキーをもらった。
「もったいなくてたべられない」
と言ったら、
「子供らしくないことを言わないの」
ってお母さんは呆れていた。

丁度チョコバナナのホットケーキを食べる時に渡しに来てくれたから、皐月ちゃんにもホットケーキをごちそうした。
「おいし~い!」
「チョコシロップがあれば簡単に作れるわよ?」
「わたしもつくろうっと!」
もしかしたら来年からは皐月ちゃんからチョコバナナホットケーキが貰えるのかもしれない…。

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ホワイトデーにお返しをすべく、お年玉を抱えて街のデパートに出かけた。
ホワイトデーフェアで色んなお菓子が売られている。どれも高いけど、とてもお洒落だ。

イチゴのドラジェっていうのを買って、皐月ちゃんに渡した。

「きれい…」
宝石箱のような綺麗な缶に入ったイチゴのドラジェ。宝石はまだ贈ることができないけど、これでちょっとは代わりになるかな?
「ちょ、ちょ、光哉くん!本気すぎるわよ!」
おばさんが慌てていた。うん、小学1年生が贈るものじゃないよね。お店の人もびっくりしてたし。
「あまい…」
ドラジェを口に運んだ皐月ちゃんがうっとり呟く。嬉しい。
「いいなー、おねえちゃんいいなー!ひとつちょうだい!ねえ!」
星香ちゃんが横で声を上げた。
すると、皐月ちゃんは静かに、でも怒った声で言った。

「だめ」

「…わーん!!」
いつもと違う本気で怒った皐月ちゃんに、星香ちゃんはびっくりしたみたいだ。
でも、星香ちゃんには申し訳ないけど、僕としては全部皐月ちゃんに食べてほしかったから、これでいい。
「ほらほら、星香泣かないの、お姉ちゃんが貰ったものでしょ!もうすぐ1年生なんだから我儘はやめなさい」
「だって、だってー」
「…」

皐月ちゃんは僕の方をちらっと見ると、また俯いた。喧嘩の原因を作っちゃって申し訳ないなあ。

数日後、あの綺麗な缶だけが星香ちゃんの手に渡ったらしく、宝物を入れるといって走り回っていた。
うう、あの缶も皐月ちゃんに持っていてほしかったのに…妹ってこんなワガママなんだなあ。皐月ちゃんも苦労してるよね。

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2年生になった。
皐月ちゃんと同じクラスになった!!二人とも4組だ!!

皐月ちゃんは「あめはら」だから、出席番号1番。
僕は隣の席じゃない。
誰が皐月ちゃんの隣かというと、俊和。
「いつき」だから、男子の出席番号1番は俊和なんだ。
羨ましいけど、こればかりはどうしようもない。

どうやら僕が皐月ちゃんを好きなことは学年のみんなに知られているようなんだけど、女の子たちが俊和を囲んできゃっきゃと騒いでいる陰に隠れているらしく、あまりからかわれることはなかった。
というか、学年一足が速い美形、それはモテるよな…。

でも俊和は今日の給食の牛乳の蓋でメンコを作るのに忙しいみたいだ。そういう性格だから、他の男子に嫉妬されることはないんだね。すごいな、俊和。

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皐月ちゃんはあまり最近元気がない。
おじさんの忙しさはさらに悪化して、家に帰らない日も珍しくなくなってきたからだ。
「このままだとお父さん『かろうし』しちゃうって、お母さんがないてたの」
おばさんが泣くなんて相当だな…
せっかく同じクラスで一緒の遠足だったのに、皐月ちゃんはあまり笑ってくれなくて、寂しかった。

お父さんにそれとなく訊いてみたら、社長が夏に急死して代替わりした社長がかなり悪い人だったみたいで、お給料を上げないままたくさんの仕事をやらせているらしい。

…なんだか、前世の僕をいじめてた王様みたいだなと思った。

「水戸黄門みたいな人が現れて倒してくれたらいいのにね」
「そうだな、わかってるじゃないか光哉」

どうして悪い人はどこの世界にもいるんだろう。つらいなあ…

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今日は皐月ちゃんの誕生日。

なのに、夕方に真っ青な顔をして、皐月ちゃんと星香ちゃんとおばさんがうちへとやってきた。
「うちの人が倒れたみたいなんです!」
「ええっ!?」
おじさんがついに、身体を悪くしてしまったらしい。
星香ちゃんはめそめそと泣いていたし、皐月ちゃんは妹の手前泣かないように必死に涙を堪えていた。
「これから病院に行きますが、何せ…」
「ええ、会社の人には皐月ちゃんたちを会わせない方がいいでしょう」
お母さんはきっぱりと言う。病院には会社の人がいるけど、その人が悪い社長にこき使われている人なのかそれとも社長と一緒に悪いことをしている人なのか、行ってみないとわからないというのは怖すぎるだろう。

おばさんが入院の準備をしている間、お母さんが電話でタクシーを呼んだ。
「皐月と星香をお願いします」
「わかりました、任せてください」
お母さんが言うと、おばさんは深々と頭を下げた。

帰ってきたお父さんに事情を説明すると、
「雨原さんを何としてでも転職させないと!」
とお父さんも怒っていた。
「皐月ちゃん、星香ちゃん、今日はうちでゆっくり過ごしてね」
お母さんが優しく言う。
「…はい」
皐月ちゃんが小さな声で答えた。

でも、皐月ちゃんのお誕生日の料理もケーキも用意できてなくて。
普通のカレーライスとサラダをみんなで食べて、お風呂に入って寝ることになった。
おばさんから鍵を預かってるから、お母さんが皐月ちゃんたちのパジャマを取りに行ったみたい。
お向かいの一人暮らしのおばあさん、松井さん(皐月ちゃんたちのお隣さんだね)も出てきて、心配そうに話を聞いていた。

「よかった、星香ちゃんやっと寝てくれたわ…光哉も心配しないで休みなさい」
「はーい」

言われた通りに部屋に戻って、横になった。
色々と考えていると、頭の中に記憶が押し寄せてくる。前世の記憶…どうしてこんな時に!

『貴様の…貴様のせいで…!私の妻を…返せ!!!』

前世の僕は…いや、私は。
悪しき王に向かって、何かを投げつけた。

…王を、殺そうとしたのだ。

「!!」
慌てて飛び起きると、さらに信じられない光景がそこにあった。
皐月ちゃんが、ドアを開けて立っている。
「さつきちゃん!?ど、どうしてここにいるの!?」
「話をきいてほしかったの」
「…え?」
すると皐月ちゃんはベッドに入ってくる。
「今日、わたしのおたんじょうびだったの…でもなにもいいこと、ひとつもなかった…おたんじょうびもお父さんは帰ってこられなかったし、ツネちゃんはかぜひいてて」
「あ…そっか、だからツネちゃんとこじゃなくてうちに来たんだ、さつきちゃん」
「おばさんも……せいかのことをさいしょにしんぱいするから」
「…せいかちゃんは小さいからね」
「みつやくんだけなの、話をきいてくれるのは」
「…おたんじょうび、おめでとう」
「…うん」
皐月ちゃんはそっと涙をふいて、ベッドに潜った。

一緒に寝るのは前世以来なんだけど、全然嬉しくないよ。
早くおじさんが元気になりますように。

翌朝、お母さんに文字通り叩き起こされた。
「光哉、なんてことをしてるの!男の子と女の子が一緒に寝るなんて!」
お母さんに、皐月ちゃんが言う。
「ごめんなさい、みつやくんにたんじょうびをおいわいしてもらいたかったんです」
「誕生日…」
それを聞いてお母さんの顔が青くなった。あの騒動だから、頭から抜け落ちていたんだろう。
「申し訳ない皐月ちゃん、光哉があれだけ言っていたのにすっかり忘れていたよ」
お父さんも謝る。
「ごめんねみつやくん、わたしのせいでしかられて」
皐月ちゃんがしょげている。
「なかないで、ぼくがさつきちゃんをまもるから」
「…うん」
皐月ちゃんは小さく頷いた。

その日、一日遅れたけどケーキを買ってきて、お誕生日のお祝いをした。
それから僕らは少し変わった。
僕は『さつき』って名前で呼ぶようになったし、皐月は『みーくん』ってあだ名で呼ぶようになったんだ。

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おじさんは外回りの途中で転んで足の骨を折ってしまったらしい。

でも、その時受けた検査で、体が栄養失調状態になってるってことがわかって、お医者さんに厳しく注意されたんだって。忙しくてちゃんとご飯を食べなかったから。疲れてふらふらしてて転んだんだから、健康だったら骨折することもなかっただろうって。

皐月と星香ちゃんがおじさんのお見舞いに行くときに、うちのお父さんと、生駒のおじいさん(去年の町内会長さんで、瑠々さんのおじいさんだよ)もついていった。会社の常務さんっていう人は、生駒のおじいさんが元警察の幹部だってことを知ってたみたい。怒鳴ろうとした悪い社長はそれを聞いて真っ青になって、おじさんが会社を辞めるって言っても、無理矢理引き留めることはできなかったんだって。

おじさんはしばらく入院して、会社はそのまま辞めることになった。
おばさんはすごくほっとしていたし、皐月も嬉しそうだった。

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おじさんが仕事を辞めて体をじっくり治すことになった。
病院のお金は「保険」で何とかなるけど、お給料が入らないからお金がなくなっちゃうって皐月が言っていた。
お金を何とかするために、おばさんが近所のお弁当屋さんで働き始めて、皐月はツネちゃんと一緒に習っていたエレクトーンを辞めることになった。

「わたしだけならいごとしてないの、さびしいな…」
皐月が悲しそうに呟く。
すると母さんが、
「じゃあ、うちでお料理教室を開きましょうか?皐月ちゃんは元からお手伝いをたくさんしてるんでしょう?うちでもご飯を作るお手伝いをしてくれるなら、お月謝はいらないわ」
と提案してくれた。
父さんも、
「習字なら少しは教えることができるよ、正規の先生じゃないけれど」
と言う。父さんって確か書道二段だったっけ?
「やりたいです!」
皐月が嬉しそうに言った。

皐月がうちに来てくれる。皐月が手伝った料理を食べられる。
こういうの不謹慎って言うらしいんだけど…僕はちょっと嬉しかった。

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皐月は週に2回うちに来て、母さんと料理をすることになった。
1回は晩ごはんの準備を手伝う日。もう1回は一緒にお菓子を作る日。
第2土曜日のお休みの日は、父さんに習字を教えてもらうんだって。
最大で週3回も皐月がうちに来るんだよ。すごくない!?

「みーくん!ポテトサラダ作ってみたの、食べて!」
母さんが色々教えているけど、皐月は元から料理がうまい。きゅうりを薄く切るし、ピーラーでじゃがいもの芽だって取り除く。すごいなあ。僕はせいぜいラップでおにぎりを作るか、餃子を作るときに包むお手伝いをするくらいだ。
「おいしい」
「ほんと?やったあ」

皐月の作った料理を食べるということにはもう成功してる。いつか僕の好きなもの作ってもらうんだ。

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夏になった。
今年の梅雨はとっても短かった。水が足りなくなるかもってお父さんが言っていた。
去年は雨ばかりでとても嫌だったけど、暑いのも嫌だなあ。

母さんが布を買ってきて、皐月と星香ちゃんにお揃いのワンピースを縫うって張り切っていた。
「女の子ができたみたいで嬉しいんだろうなあ」
と、父さんがしみじみと言っている。
「さつきが妹だったら、こまる」
「ははは、妹だったら結婚できないからなあ」
父さんは笑ってるけど、僕からすると死活問題だよ!

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もうすぐ夏休み。
毎日暑いから、アイスクリームを使って同級生の5人でパフェを作ることになった。

「みーくんの好きな白玉とあんこもあるよ」
「本当?」
「うん、白玉はこれから作る」
「やったあ」
「アイスもいろんな味をかってきたって」
「さつきの好きなチョコレートアイスも?」
「あるよ~」
そうやって話してると、
「なんで好きなものがわかるんだ?」
と、幸政に言われた。
なんでって言われても、料理教室で母さんが僕の好みのことは全部話しちゃうし。
あと、皐月の好きなものは調べるようにしてるし。

「なんだかふうふみたいだね…」
と、ツネちゃんが呟いた。ありがとう。

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ものすごく暑い。
お母さんの弟の進叔父さんから、トマトがいっぱい届いた。叔父さんは農業をやってるんだけど、最近暑すぎて野菜がどんどん育っちゃうんだって。

そのトマトを使って、皐月がトマトカレーを作ってくれた。今までカレールウの箱の作り方に書いてあるような、じゃがいもとにんじんと玉ねぎと肉の入った普通のカレーしか食べたことがなかった。トマトカレーはとても美味しかった。

「お母さんはお父さんとけっこんする前に、レストランではたらいてたの!トマトカレーはそこで作ってたんだって」
「へー」
「祐子さんレパートリー豊富なのね!お料理教室、おばさんが習う側になろうかしら」
お母さん、ちょっと本気だね?
あ、祐子さんっていうのは皐月のお母さんの名前だよ。

皐月と結婚したら毎日皐月の料理が食べられるのかなあ。そうだったら嬉しいなあ。
でも、これからは男の子も料理ができなきゃダメだって先生も言ってたし。トマトを洗って切るところから始めてみようかな。

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2学期になった。席替えのくじ引きをしたら、皐月の斜め後ろの席になった。
うれしい。

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星香ちゃんが喧嘩をして帰ってきて叱られたらしい。
喧嘩の相手は2年生。うちのクラスの佐倉さんって子だ……ってクラスの女子で一番背が高くてちょっとキツい感じの美人の子じゃないか。それで勝ったというのだからもうわけがわからない。

「おねえちゃんといっしょにかえってたら、そいつがおねえちゃんにケンカをうってきたの!だからゆるせなかった!」
星香ちゃんはそう主張する。
「たしかにさくらさんとその友だちにケンカうられたのは本当だけど」
皐月が言う。
何て奴だ。美人なのを鼻にかけて。
「としかずくんに近づかないで、なまいき、って言われたの」
とのこと。
「え、としかず?」
「ほら、わたしととしかずくんはばんごうが同じだから、よくペアを組むでしょ?さくらさん、としかずくんのことが好きみたい」
「え~…」
俊和はモテる。学年一足が速くて、王子様みたいに顔がかっこいいからだ。
だからってよくペアを組む皐月に喧嘩を売るとは。完全に言いがかりじゃないか。
「そうしたらせいかが、さくらさんにとびかかっちゃったの」
「あいつぜんぜんつよくなかったよ!もうおねえちゃんのこといじめないってやくそくした!」
星香ちゃんパワフルすぎる。
しかし、取り巻きの目の前で1年生に腕っぷしで負けたとなると、佐倉さんもこれから大変だろうな。とりあえず僕から仕返しするのはやめておいてやろう。
「お母さんにはおこられたけど、たすけてくれてありがとね」
皐月がお礼を言うと、
「ふふん」
と星香ちゃんは得意げに笑って、機嫌を直して去って行った。

すると、皐月が呟いた。
「それにわたしはとしかずくんのことは友だちだけど、好きなのはみーくんだからって言ったら、なっとくしてくれたから、もういじめられないよ」

「…え?す、好き…!?」
さ、皐月が、僕のことを好き!?

「としかずくんとゆきまさくんとみーくんだと、みーくんがいちばん好き」
…3人の友達の男の子の中では一番好き。
それが今の皐月の僕に対する思い、らしい。

それは僕にたとえると、皐月と星香ちゃんとツネちゃんの中だと皐月が一番好きだよっていうことだよね。
僕は皐月のことを好きで好きでたまらなくて、将来絶対に結婚したいし、結婚できなかったら悲しくて死んじゃうかもしれないくらい好きだ。星香ちゃんは妹みたいに可愛いし、ツネちゃんは仲のいい友達だけど、皐月に対する『好き』とは全然違っていて、比べられるものじゃない。だから皐月の僕への『好き』は、まだ友達に近いのかもしれない…。

…でも、僕が一番だって。

これって、大進歩だよね!?

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おじさんは10月から新しい会社で働くんだって。アリトー食品の関連会社の工場だって言ってた。もしかして雅道おじさんが助けてくれたのかな?

皐月を守るって言ってみたけど、僕は何もできていない。
皐月はお父さんの入院で困っていたのに、それを助けたのはお父さんと生駒のおじいさんと、それからたぶん雅道おじさんだ。

どうすれば皐月を守れるんだろう。どうすれば強くなれるんだろう。
剣道をやってはいるけど、全然強くなった気がしない。
せっかく皐月が僕のことをちょっとだけ好きになってくれたのに。

お父さんにそれを相談したら、
「今できること、光哉だったら学校の勉強や運動を頑張って、立派な大人になることが、大切な人を守るために必要なことなんだよ」
と教えてくれた。

立派な大人。
前世、いくら悪い王様とはいえ王様を殺そうとしたような僕が、そんな立派な大人になれるだろうか…。

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学校で『せいきょういく』の授業があった。
お母さんのお腹の中で赤ちゃんがどうやって育っていくのかをビデオで見た。
赤ちゃんができるためには、赤ちゃんの『種』と『卵』がひとつになって、お母さんのお腹の中で育たないといけないみたいだ。人間は赤ちゃんを産むけど、お腹の中では卵なんだね。
男の人と女の人の体が違うのは、その『種』と『卵』の違い。男の人は『種』を作るし、女の人は赤ちゃんを育てられるようになっている。赤ちゃんに関わるところはとても大事なところだから隠さないといけないし、隠さないと恥ずかしいんだよ、って先生は言う。
うーん…僕は前世では子供がいたから、そういうことはちゃんとわかっていたはずなんだけど……覚えてないな。悲しい記憶ばかりじゃなくて、勉強に使える記憶が残っていたら便利なんだけど。
でも結婚したら一緒にお風呂に入っていいって理由はわかった。結婚した二人には赤ちゃんが生まれるから、赤ちゃんに関わるところを見てもいいってことだ。うん。納得できた。

でも、結婚したら赤ちゃんができると思っていたけど、必ずそうってわけではないみたい。確かに、桃太郎も一寸法師もかぐや姫も、おじいさんとおばあさんには子供がいない。運も関係してるのかな…。僕は皐月と出会ったことで運を使い果たしている気がするんだけど。

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10月の遠足は山登りだった。隣の学区にある、市内だとハイキングでちょっと有名な山だ。紅葉し始めていて、とっても綺麗だった。
でも夏の暑さのせいで池が干上がったままだった。

男の子と女の子で分かれてお昼を食べているから、僕も皐月と一緒にお昼を食べるのはやめておいた。
俊和と一緒だとまた皐月が嫉妬されていじめられるかもしれないからって、自分にそう言い聞かせて我慢した。

最近は男の子と女の子で揉め事が起きることも多い。先生に言いつけたとか、物を壊されたとか。大きくなると異性との距離は次第に離れていくものだってお母さんは言っていたけど、僕は皐月と離れたくない。
ドラえもんのしずかちゃんだって男の子とばかり遊んでるじゃないか。現実だとどうしてダメなんだろう?

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今年の学習発表会は「おおかみと7ひきの小ヤギ」だ。

僕も皐月も小ヤギその2とか、そういうあまり台詞のない感じの役。
狼か…確か前世ではそういう獣とも戦っていたような気がする。
あの童話の狼は強盗とか泥棒とかそういう連中のことなんだけどね。

「さつき、おじさんがびょういんに行ってるときはるすばんだよね?」
「うん、そうだよ」
「あぶないから、ぜったいにうちに来てね」
「…うん」

心配性だって思われてもいい。まだ僕だけだと皐月を守れないから、大人の力を借りるんだ。

でも、前世の頃は今よりももっと物騒で、危険な獣もたくさんいたから、お嫁さんや子供たちをあまり家の外に出さなかった記憶が残っている。外に出たらモンスターがいるのは、やっぱりゲームの世界に似ている。やっぱり僕はゲームの世界から生まれ変わってきたんだろうか?

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雅道おじさんがまた遊びに来た。今度は娘の春奈ちゃんも一緒だ。
僕の又従妹なんだけど、正直何を話していいかわからない。

「もうすぐ弟がうまれますの」
「…おめでとうございます」
「やきもちをやいて赤ちゃんがえりするほどわたしはばかではありません」
「はあ」
「でもいい子にしているのはとてもたいくつですの」
「…そ、そう……」

なんか口調からしてものすごいお嬢様だ!気が合うとは思えない。
前世でちょっとだけ話したことのある『王妃様』を思い出すレベルのお嬢様だ。

すると、皐月と星香ちゃんが様子を伺っているのに気づいた春奈ちゃんが、二人と遊びたいと言ってきた。

大丈夫かな、話合うのかな、皐月いじめられてないかな…とものすごく心配したけど、春奈ちゃんが星香ちゃんとお揃いのビーズのブレスレットをつけて戻ってきて、雅道おじさんも喜んでいた。
「6つも歳の離れた兄しかいないから、お姉さんができたことが嬉しかったんだろうな」
と雅道おじさんは言う。

雅道おじさんはまた沢山のお小遣いをくれた。
それから3日して、皐月と星香ちゃんには、綺麗な箱に入ったイタリアのチョコレートが届いたんだって。豪快だなあ。

□■□

冬がやってきた。

まだおじさんは長い時間働けないから、クリスマスプレゼントもあまり高いオモチャは買えないだろうって皐月は言う。
「ほんとは何をおねがいしたいの?」
「ピンクの小さいミシン」
「ミシン?」
「おばさんにワンピースを作ってもらったのがうれしかったの、だからわたしもやりたいの」
「そっかあ…」

お母さんに相談したら、本物のミシンを使わせてあげるって言われたけど。たぶん皐月はピンクの可愛いミシンが欲しいんだと思う。
雅道おじさんから貰ったお小遣いがあるからそれで買おうかなって思ったら、お父さんに止められた。
「皐月ちゃんに本当に好きになってもらいたかったら、物で釣るようなことはやめなさい」
「…どうして?」
「そんなことをしたら、皐月ちゃんは恩を返すためだけに光哉と結婚しようって思うようになってしまうかもしれないよ?他に好きな人がいるのに我慢して結婚するなんてことになったら、皐月ちゃんだけじゃなくて光哉も幸せになれないんだよ」
「他に好きな人が…」
皐月の愛情が他の人に向けられたらなんて、想像しただけでぞっとして、悲しくなって…思わず泣きそうになってしまった。
「皐月ちゃんはきっと自分で何とかするよ」
「…」
「もっと大きくなって自分でお金を稼げるようになって、皐月ちゃんが光哉のことを好きになってくれていたら、いくらでもプレゼントをしなさい」
「いくらでも?」
「お花でもアクセサリーでも服でも、喜んでくれるものをプレゼントしなさい」

その後、お父さんとお母さんが話しているのを聞いてしまった。
これ以上『貸し』を作ってしまったら、普通のご近所さんではいられなくなってしまうって。主人と家臣になってしまうって。だから高いオモチャを勝手にプレゼントするのは絶対にダメだって。
それを聞いて僕は前世のことを思い出した。
…僕は貴族だったから『主人』で、『家臣』がたくさんいた。
『家臣』は家族になれなかったし、友達にもなれなかった。ううん、なってはいけなかった。

皐月と結婚して家族になりたいんだったら、皐月が『家臣』じゃダメなんだ…。

□■□

冬休み。
おじさんが会社を休めるようになったから、皐月はおじいちゃんおばあちゃんの住んでいる家に行ける。

「今年は皐月ちゃんや星香ちゃんは、お年玉を沢山もらえるんじゃないかな」
お父さんが笑う。
そっか、お年玉で買えばいいんだ!
皐月が自分で何とかするっていうのはこのことだったんだ。

僕もお父さんくらい落ち着いて考えられるようにならないとダメだなあ。