転生夫婦譚 第4話 1996年5月~12月

1996年5月~12月。

□■□

「皐月…結婚してくれてありがとう」
「…うん」
「今日からいっしょにねられるね」
「うん、おやすみ、みーくん」

皐月がおやすみのキスを頬にしてくれたので、びっくりして目を覚ましてしまった。
やっぱり夢だったか…昨日が林間学校だったことを考えると、夢を見たのが今日でよかったのだけど。
よく考えたら、前世の悪夢じゃなくて今の皐月の夢を見るのは珍しいな。

皐月が僕と「付き合ってる」と言ってくれた。つまり、皐月に好きになってもらえたということだ。
うう、まずい。顔がにやける。
大人になるまで好きなままでいてもらえたら、本当に皐月と結婚できるんだ。
僕は大人になるまでまだ半分だから、先は長いけど……。

登校のときに夢を思い出して恥ずかしくなってたら、何で今更照れているんだと登校班の班長につっこまれた。

□■□

雨の日。
今日は母さんが皐月に和菓子作りを教えてる。水ようかん。
僕は意外と和菓子が好きだ。花見の三色団子とか、端午の節句の柏餅やちまきとか。カステラや最中も。
前世は西洋風のファンタジー世界だったから、完全に転生後の好み。
間違いなく父さんの影響だな。

□■□

もうすぐ夏休み。今年は早めに梅雨が明けたので、早速うちの庭でキャンプごっこをすることになった。
かまどの代わりにカセットコンロ、それから大きな寸胴鍋を用意。キャンプ場と違って作業台がないから、材料は台所で切ってから外に持っていくことになった。
「みーくん料理するんだ?」
「まだ下手だからはずかしいけど…」
必死にピーラーでにんじんの皮をむく僕と、手際良くじゃがいもを剥いて切ってる皐月。来年から家庭科の授業始まったら一生懸命勉強したい。世間一般的に家事ができる男の方が好きになってもらえる確率が高いから、という不純な動機だけどね。
ちなみにツネちゃんと幸政と俊和はサラダを作っている。星香ちゃんはデザートのアイスクリームをおじさんと一緒に買いに行った。
「玉ねぎ切ったらみーくんも泣く?見てみたい」
皐月がからかうように言ってくる。
「別に玉ねぎ切らなくてもたまにこわい夢見て泣いてるよ」
「こわい夢見るの?」
皐月のきょとんとした顔。嘘ついても仕方ないよな、本当なんだから。
「…うん」
「…じゃあ、わたしが」
「えっ」
「ぬいぐるみ作ろうか?」
「ぬ、ぬいぐるみ!?」
「安心できると思うよ」
「いや、4年生になってぬいぐるみと寝るというのはちょっと…」
「別にげんめつしたりしないのに」
「さてはぬいぐるみ作りたいだけだな」
「バレたか」
なんかこう、最近皐月がちょっと強かな感じになってきている気がする…。母さんに色々仕込まれてるんだな、きっと。(うちの両親は圧倒的に母さんが強い。)
まあ、僕は亭主関白とか言って威張るよりも尻に敷かれる方が向いていると思う。
「やっぱりお前ら仲いいな」
「ふうふだよなー」
「早くけっこんして!」
みんなに言われて、僕らは顔を見合わせてから作業に戻った。

野菜と肉を抱えて外に出ると、いよいよカレー作りも本番だ。カレールウ1箱、12皿分も作る。
「こげないようにいためる、と」
「やけどに気をつけて」
「みーくん心配しすぎ」
皐月に注意されつつアシスタントをする。結婚したらいつもこんなことができるのかな、などと考える。具材が煮込まれている間も僕はずっと皐月と結婚することばかり考えてる。
皐月に触れたい。
皐月を抱き締めたい。
僕は……。

「みーくん、ごはんあと何分でたける?」
皐月に言われて、はっとして家の中の炊飯器を見に行く。
「あと8分ー」
「じゃあ先にごはんができあがっちゃうかな」
皐月の笑顔を見て我に返る。

「楽しいね!いつか本当にキャンプに行けるといいな」
皐月は僕の隣で無邪気に笑ってる。けど…抱き締めたら、きっと怒るだろうな。皆が見てるし。火を使ってるところだから危ないし。
2人きりのときならちょっとだけ抱き締めてもいいのかな…?

出来上がったカレーとサラダを青空の下で皆で食べた。
「おいしい、さすが皐月」
「みーくんもいっしょに作ったでしょ」
「皐月ちゃん!光哉くんに『あーん』して食べさせてあげて!」
ツネちゃんが無責任に煽ってくる。
「えー、まだ『しんこんさん』じゃないよ、わたしたち」
照れているのか謎の反論をする皐月。
「『まだ』なんだ」
「てことは『しんこんさん』にいつかはなるってことね!」
皆が冷やかしてくる。皐月の言葉が嬉しくて暴走しそうになる。
僕はちゃんと我慢できるんだろうか。

「光哉くん、アイスは何味がいい?」
「あ、バニラお願いします」
皐月のお父さんが声をかけてくれたので、何とか頭は冷えた。

□■□

夏休みがやってきた。
暑いからと下着同然の姿で外でくつろいでいた星香ちゃんがおばさんに叱られていた。東京の渋谷にいるというコギャルもあんなカッコしてるみたいだけど。都会って怖い。
「星香はがんじょうでうらやましい」
と、皐月は呟く。日焼けが苦手な皐月は露出控えめだ。
「やっぱり着てると暑いよね?」
「うん、だから自分の家の中では着ないよ」
皐月は言う。
ちょっと見たいって思ったのは絶対内緒だ。

昔はのび太くんが好きな女の子のお風呂を覗く理由がわからなかったけど、今はわかるようになってきた。というのも、皐月って身体の線が綺麗なんだ。だから眺めていたくなる。裸を見るのはさすがに皐月が可哀想だからやらないけど。
星香ちゃんは1学年しか違わないし顔も皐月そっくりなのに、あんなカッコでもちっちゃい子供にしか見えない。好きな子が一番綺麗に見えるのは当たり前のことなのかもしれないけど、なんか変だ。

□■□

『薬、薬さえあれば、アザレアとフリントは……だから私は反対していたのだ…何故処刑したのだ、あんなに沢山の医者と薬剤師を!!』

浮かれていたら、久しぶりに前世の夢を見た。
フリント…多分アザレアと一緒に死んじゃったジェイドの子供の名前だ。
悪い王様が医者と薬剤師を処刑した……?だから薬が足りなくなってアザレアと子供が亡くなった……?それで王様を憎んで、前世の僕は王様を……。
話が繋がってきたけど、気持ちは暗い。やっぱり前世の僕はテロリストだった。革命なんて立派な理由じゃない。完全に恨みと憎しみで王様を殺そうとしたんだ。
それに、その憎しみだって逆恨みと言ってもいいかもしれない。ジェイドはサバイバル知識としてちょっとした医学の知識があって、全くの素人じゃなかったから、きちんと勉強していたら治せていたかもしれないって心のどこかで思っていた。それから目を反らして、憎しみへと呑み込まれていったんだ。もちろん、いくら『魔法の薬』があるファンタジーの世界だからといって、死ぬようなレベルの疫病をきちんと勉強していただけで治せていたのかどうかはかなり怪しいけれど…ジェイドは、自分が何もできなかったことがとても悔しかったんだ。

将来の夢なんてぼんやりしてて、父さんみたいな会社勤めになるものだと思っていた僕だけれど…こうやって生まれ変わって人生をやり直させてもらえているなら、ジェイドができなかったことをやってもいいんじゃないかな?

医者か薬剤師になる。僕の頭に、そんな考えが浮かんだ。

□■□

夏休みの終わり。
大河ドラマで明智光秀と奥さんの煕子さんのカップルにハマっていたツネちゃん。でも、今週ふたりは歴史の通り、悲劇の死を迎えた。
僕も「光」の字が同じで愛妻家ということで何となく明智光秀に感情移入してたけど、まさか彼もクーデターを起こすとは思わなかった。でも、個人的な恨みではなく義憤で。前世の僕とは違って……。
すると父さんが、
「ドラマはドラマだから、ある人から見れば明智光秀は極悪人のテロリストだし、ある人から見れば真面目な正義漢だし、お話を作った人次第だよ」
と言う。そうだね、記録が正式に残ってないから何とでも言えるし……僕の前世の世界の人達がもし僕を真面目な正義漢などと思っているようなら訂正したいけど、もうどうすることもできない。あの世界がどうなったのかを知ることすらできない。

翌日、ツネちゃんが泣きながら皐月の家に駆け込んでいって、それから皐月がツネちゃんをうちに連れてきた。
「どうしよう、みーくん」
「ぼくにはどうしようも…歴史のドラマは歴史のとおりに死んじゃうからなあ」
ホント、どうしようもないよ。父さんがいたらうまくフォローできるんだけど、生憎の月曜日だ。
「ドラマは12月まであるのに、こんなに早く死ぬなんてー」
父さんは史実を知ってたはずだけど、初心者のツネちゃんにばらさないように黙ってたんだな。

すると、皐月が静かに言う。
「わたしも見てたけど、多分あのふたりは死んでもいっしょだから、幸せだと思うよ」
「死んでもいっしょ…?」
「うん、きっと…死んでも、生まれ変わっても、ふたりはいっしょにいるよ」
「……」
皐月の言葉に、ツネちゃんは涙を拭いた。

でも、代わりに僕が泣きかけてた。

「ちょっ、みーくん大丈夫!?」
「だ、大丈夫だよ光哉くん!光哉くんと皐月ちゃんも死んでもいっしょだからね!ね!?」
あたふたと慰められる僕。情けない。

でも。
こうして光哉と皐月になってまた出会えたのは、死んでも一緒だとアザレアが願ってくれたからなんだろうな。
絶対、絶対今度こそ幸せにするよ。

□■□

8月30日、俊和と幸政が泊まりがけで遊びに来た。
一緒に宿題のチェックをやっていると、皐月が母さんと一緒にパウンドケーキを持ってきて、何も言わずに去っていった。
「当たり前のように皐月ちゃんがいるなあ」
「母さんから料理と『ようさい』を、父さんから習字を習ってるから週3でいるよ」
「『ようさい』って何?」
「洋服作るやつのこと、着物作るのが『わさい』だって」
「へー…」
「もうけっこんしてるようなものなんじゃないか?」
「皐月は習い事が終わったら家に帰るから、ちがうよ」
そう言うと俊和と幸政は顔を見合わせた。

「いっしょに住んでないふうふもいるからな」
と、幸政が言う。
「いっしょに住んでない!?」
「たんしんふにんってやつだよ、安田くんのお父さん北海道にいて再来年まで帰れないって前言ってたぞ」
「たんしんふにん!!」
そ、それは想定してなかった…単身赴任、僕は絶対に耐えられない!!
父さんはたまの出張で済んでる。僕もそういう仕事につけるように頑張ろう。

でも、皐月と長く離れる可能性ってあるんだな。例えばツネちゃんは夏休みになると半月くらいおじいちゃんおばあちゃんの家に行って、この町を留守にしてるし。家によってはそれが当たり前なんだ。
今は違っても、これから留学とかしたら…いや、大阪や東京の大学に行ったら……でも、いい学校に行かないと皐月を幸せにはできないし…。

皐月と長く一緒にいるためには、これからのことをきっちり計画していかないとダメみたいだ。
「よし、ちゃんと勉強するぞ」
「それ以上やってどうするんだよ…」
勉強嫌いな俊和は呆れてるけど、こっちは本気だ。

お風呂に入ってから寝るまでに、少し下品な話もした。
「兄ちゃんと風呂に入るとさ、ち〇こ大きくなってきたってえらそうに言うんだよ、オレのことをガキだって言うんだ」
「辰也さんは6年生で12さいだし、そりゃぼくらより大人だよ」
「声が低くなったよな」
大人になるとアレが大きくなるというのは聞いたことがある。というか、父さんの裸と比べたらそういうもんなんだろうな。うちの父さん痩せててあまり筋肉ないけど。
「虫なんて全然ちがうすがたになるし、一気に変わらないだけマシなのかも」
僕が呟くと、
「さすがいつも図かんを読んでるだけある」
と返された。

昼間に沢山の蝉が鳴いていた。蝉は何年もいた土の中から出てきて羽化して、メスを探して鳴くことができるようになる。それが大人の蝉だ。
人間は一気に姿が変わらないけど、背が伸びて細かいところが変わって、声が低くなる。結局のところ蝉と同じだ。
大人になって一緒に寝たら赤ちゃんができるんじゃなくて、赤ちゃんができるような体になるのが大人になるってことなんだろうな…。

□■□

星香ちゃんが夏休み明けのテストでひどい点をとって、近所の塾に通うことになったんだって。
でも星香ちゃんは
「お姉ちゃんは体育苦手でもおこられないのに!お姉ちゃんも体育やってよ!!」
と泣いて怒って…(星香ちゃんは基本的に勉強嫌いなんだよね)…何故か僕が皐月に運動を教えることになった。

「えーと…運動会に向けてとりあえず走る練習をしようか」
「うん」
「ほかに何か希望ある?」
「逆上がりできるようになりたいし、あともっと体がやわらかくなりたい」
「ぼくが皐月の体にベタベタさわるの、あまりよくないと思うけど」
「うん、それはそう思う、わたしもはずかしい」
「逆上がりは、タオルでお腹を鉄棒にくくるといいらしいよ、テレビでやってた」
「へー!」
「体やわらかくするのは、ストレッチをお風呂上がりにやった方がいいと思うよ」
「わかった」
頑張ってお風呂上がりの皐月を想像しないようにした。

そして、皐月がうちに来るのが週3から週4になった。
2人で家の前を走ってるだけなんだけどね。
「あらあら、2人とも真面目ねえ」
松井さんのおばあちゃんが楽しそうに僕らを眺めてくれている。

□■□

運動会。
練習のおかげで皐月はちょっとだけ足が速くなった。
俊和は相変わらず足が速くて、女子にキャーキャー言われていた。

午後は教職員リレーから始まって、4年生と5年生のダンス、6年生のリレー、4年から6年のクラスの代表が男女2人ずつ出る組別選抜リレーがある。うちのクラスの男子代表の1人は幸政だ。隣の2組は当然俊和も出る。そんな2人と一緒に呑気にご飯を食べる僕、50mのタイムはクラスで16人中3番目。つまり補欠。決して悪くはないんだけど、飛び抜けて良いわけでもない。
「みーくんと一緒にいよっと…あの2人といたら、特に俊和くんといたら、またヤキモチやかれそうだから」
「あー、それもそうだな」
「あの子4組の代表で出るらしいよ」
「佐倉さんが?」
皐月が僕と付き合っているというのは結構知られている。僕はいわゆる『ガリ勉』というイメージを持たれているので、僕を好きになって皐月に嫉妬するような人は現れない。それはそれで安全だからいいんだけど、皐月はこんなのが彼氏でいいのかな?

そんな考えを、
「お姉ちゃんは本当に光哉くんが大好きだね」
意図せずに星香ちゃんが振り払ってくれた。
「星香」
「だってお姉ちゃん今日…」
「星香!」
皐月に叱られそうになり、慌てて逃げる星香ちゃん。
「あ、えっと…星香ちゃん大丈夫?」
「あの子デザートが早く食べたくて、さいそくしに来たのよ」
「デザート?」
「…フルーツゼリー作ったの、みーくんも食べてね」
「え、ぼ、ぼくもいいの?」
「うん」
頷いて、皐月が微笑んだ。

周りにみんながいなかったら抱き締めてキスしてたと思う。
それくらい、すっごい可愛かった。

運動会の思い出、どこかに行っちゃった。

□■□

秋になった。

恋愛の秋と大人たちは言うが、僕らもさすがに半数が10歳になればほとんどが初恋を経験する。

幸政が言うには、皐月が僕のことを好きなのは誰が見ても明らかで、僕も皐月が好きだから、割って入ろうと思う奴は馬鹿だって。
でもなあ。相手の気持ちを無視して好きになる奴いるだろ。女子だと例の4組のあの子。男子にだっていてもおかしくないだろ。

もちろん、前世に夫婦だったからという理由で皐月を自分のものだと勝手に決めてしまうのはワガママだ。現に皐月は前世のことを覚えていないわけだし、皐月が僕のことを好きじゃなくなったら諦めなきゃいけないということくらいはわかっているつもりだ。受け入れられるかはともかく。

「時任くんは雨原さんをどういうきっかけで好きになったの?」
安田くんが尋ねてくる。安田くんはツネちゃんが好きなんだけど、ツネちゃんは少女漫画や友達の恋愛話には興味津々だけど自分のことには興味がないみたいだ。
「皐月ちゃんが初めてあいさつに来たときにヒトメボレしたんだから、見た目ってことになるんじゃないのか?」
幸政が代わりに答えた。当たり前だけど皆は前世のことなんて知らないから、僕が皐月に一目惚れしたっていう風に思っている。
「ま、うちも父ちゃんが母ちゃんをナンパして付き合ってケッコンしたらしいから、見た目がきっかけだな」
俊和が呟く。王子様のような見た目の俊和の親だけあって、二人ともゴージャスな美男美女なんだよね。あれくらい目立つ見た目をしていれば普通にあることなのかもしれない。でも、今も二人は仲良しで、それは僕らも知っているくらいだ。
「うちの両親は『お見合い』だからいきなりケッコンだったはずだけど、まあそれなりに仲いいな」
「へー、幸政のお父さんとお母さんはお見合いなんだ」
「うん、たまにやってきておかしや図書券くれるナゾのおじさんおばさんがいるんだけど、だれなのかきいてみたら『なこうどさん』だって言ってた」
「へー」

そういえばうちの両親ってどうやって出会ったんだろう。
帰ったら聞いてみよう。

それで聞いてみたら、
「ああ、母さんが父さんの会社の部下だったんだよ」
と父さんが答えた。
「社内れんあいだったんだ…へー」
何か意外だな。というか、父さんが仕事のことをあまり家で話さないタイプだから、会社にいるときの父さんを想像したことがほとんどない。
「光哉もそういうことに興味を持つようになったのね…皐月ちゃんのこと好き好き言ってる割に、ひとの恋愛には興味がなかったから」
「ツネちゃんみたいにひとの恋愛にしかきょうみのない子もいるけど…」
「女の子はませているっていうからな…」

見た目、お見合い、前世の記憶。
きっかけが何であれ、結果的に仲良しを続けられれば全てよし、ってことかな。

『僕』は『皐月』が好きだ。『ジェイド』が『アザレア』を好きな気持ちが残っていてもいなくても関係ない。

□■□

僕が10歳になってすぐ、僕の家族と皐月の家族で地元の古い遊園地に行くことになった。
皐月と前にジェットコースターに乗ろうって約束したというのもあるけど、実は来年の3月でこの遊園地は閉鎖されちゃうんだって。だからなくなる前に行っておこう!ってことで話が進んだみたいだ。
「古くなったから仕方ないけど寂しいね…」
「ここのドイツ料理のレストランにお父さんと一緒に来たこともあったのに」
父さんと母さんもデートに使ってたんだ…。それは寂しいよね。

てっぺんから湖が見える観覧車に、ジェットコースター。ミラーハウス、メリーゴーランド、コーヒーカップ、空中ブランコ、動物の汽車。全部古ぼけた遊園地だけど、皐月とデートということで僕は浮かれている。だって、遊園地でデートするなんてもっと大人にならないとできないと思っていたから。
「みーくん、山がきれいだよ」
「紅葉の季節だね」
「ジェットコースターと空中ブランコに乗ってから、ミラーハウス行こう」
「うん」
二人で歩いてたら、
「お母さんたちは遠くから見てるから、あまり羽目を外さないのよ」
と父さんと母さんに言われた。
「え、皐月と二人で回っていいの?」
「星香はまだ8歳だから、どれに乗るにも保護者の付き添いが必要だからね…お父さんとお母さんは星香と回るよ」
と、おじさんが言う。
「勿論僕らの目が届くところにいてはもらうけど、アトラクションは二人で乗ってきていいよ」
そう言う父さん。
「父さん『こうしょきょうふしょう』なんだよね…だからあまり遊園地とかタワーとかふだん来ないんだ」
と僕は皐月に耳打ちする。
「ああ、だったらジェットコースターとかダメだよね」
納得したように皐月が返した。

まずは空中ブランコ。これは一人ずつ乗るからあまり一緒に乗った感じはしない。でも景色が綺麗だった。
二番目に、約束したジェットコースターに並んで乗る。
「遊園地デートしたのがバレたらツネちゃんにまたキャーキャー言われそう、マンガみたいだって」
「確かに」
少しずつ上昇していくコースター。乗り慣れていないからドキドキする。
「楽しみ~」
「うん」
嬉しそうな皐月を見ているとこちらも嬉しくなる。
コースターは古いからあまり複雑な動きはできなくて、一回転とかパイプを横向き回転とかそういうのはなかった。絶叫マシンが好きな人からすると物足りなかっただろうし、遊園地が寂れていった理由のひとつがそこにあるんだろうけど…でも、僕は忘れないと思う。
「きゃー」
「わー」
デートしたということが一番大事だからね!
ジェットコースターの次はミラーハウスに入った。
二人で手を繋いでゆっくり歩いていると…迷路のような通路の奥の物陰に、大人が二人いる。イチャイチャしているカップルの人たちだ。
「気づかないふりしてあげよう」
「うん」
二人で手を繋いで横をタタタと走り抜けたら、カップルの人たちはびっくりして慌てて離れていた。僕は皐月と手を繋げたから感謝しているよ。ありがとう、カップルの人たち。

「あ、お姉ちゃんと光哉くん」
メリーゴーランドに行くと星香ちゃんとおじさんに出会った。
「すっかりデート気分だね」
手を繋いでいる僕らを見たおじさんが苦笑する。
「気分じゃなくて、デートなの!」
皐月が反論した。
「ごめんごめん…でも、デートなら夏のお化け屋敷やってる時にも来ればよかったね、あれは9月いっぱいで終わってるから」
「お化けやしきか…」
「みーくんはあまりこわがらなさそうね」
「ああいうのを見るとついこわがるよりも先に『弱点』を考えちゃうんだよね…早く動けなさそうだとか、炎が効きそうだとか」
僕はファンタジー世界の暗い夜の森でサバイバルしていた前世の記憶が邪魔をしているせいであまり楽しめない。前世で怪異の類は『よくわからない怖いもの』ではなく、『実害があるので倒すべきもの』だったからだ。
「光哉くんはお父さんの影響で色んな本を読んでいるから、世界中の色んなお化けの知識があって怖くないんだろうね」
「そっか、知ってるからこわくないのね」
「そうそう、だから星香も光哉くんを見習ってしっかり勉強するんだよ」
「えー!ちょっとー!光哉くんのせいでおせっきょうされたんだけどー!」
「みーくんのせいにしないの!」
皐月、星香ちゃんにはちょっと厳しめだ。年の近い姉妹というのはこういうものなのかもしれない。
「じゃあ、お昼にドイツ料理のレストランを予約してあるから、時間にちゃんと来るんだよ」
そう言っておじさんは去って行った。父親が娘の彼氏に対して厳しいっていうのは、子供のうちは当てはまらないのかな。

でも、おじさんの言う通りだ。知っていれば怖くない。
だから…病気に対する知識をつけて、きちんと知っていれば…今度の人生では、皐月は長生きできる?
…もちろん、今の医学で全部の病気を治せるわけじゃないっていうのは知っているけれど。でも、それでも何も知らないよりは……。

「物知りのみーくん、ドイツ料理ってどういうのがあるの」
「え、やっぱりソーセージじゃないのかな?あとシュニッツェルっていうのは食べたことがある、うすく叩いた牛肉のカツみたいな」
「えーおいしそう!おばさんが作ったの?」
「うん」
「今度習おうっと!デザートは何があるかな~」
「ドイツのお菓子……バウムクーヘン?」
「レストランで食べるの?」
「さすがにそれはないか」

皐月は食べることに興味津々みたいだ。楽しい一日なので、邪魔をしたくない。将来の夢については、また別の日に話すことにしよう。

お昼になってドイツレストランに行くと、本当にバウムクーヘンがお土産用に売られていた。紹介の新聞記事が貼り出されているので、どうやら味に定評があるらしい。皐月に『すごーい!!』とめちゃくちゃ褒めてもらえたので、やはり知ることは大切なのだな、と再確認した。

ご飯のあともひととおりアトラクションを回って、午後3時くらいになって、最後にもう一度ジェットコースターに乗った。
「なくなっちゃうのさびしいね…」
皐月がしんみりと向こうを見ながら言う。もうすぐ頂点に着くジェットコースターからは、綺麗な湖が見えた。
「ここが遊園地じゃなくなっても、また来よう」
「連れてきてくれる?」
「大きくなったら車のめんきょも取るし、お金もいっぱいかせいで、皐月を旅行に連れてくるよ」
「そっかあ…ありがと、みーくん」
皐月はそう言って笑ってくれた。
車の免許が取れるのは18歳だっけ。それまで一緒にいてくれるんだとわかると、胸が温かくなった。

□■□

「ぼく、大人になったら医者になろうと思うんだ」
遊園地から帰って数日後、僕は両親にそれを話した。

「そうか、向いているんじゃないかな、光哉は理科や算数が得意だしニュースもしっかり見ている」
父さんはにこやかに返す。
「大変な道になるわよ?中学に入るときと高校に入るときに、本当にできるかもう一度しっかり考えるのよ」
母さんは心配そうに返した。
医者になるには大学の医学部に入らないといけない。受験が大変だってことは僕だって知ってる。『偏差値』が70は必要だって新聞に書いてあった。それで、いい大学に行くには、勉強をいっぱい教えてくれる高校に行かないといけない。そういう高校に行くには、中学の時から準備しないといけない。だからもう一度考えろってことだね。
「中学受験を考えるかい?それとも塾?」
父さんに尋ねられ、僕は
「じゅく、かな」
と答えた。
「交通の便が悪いものね、ここから行きやすいのは鸊鷉(へきてい)大学付属中くらいで」
母さんが呟く。母さん曰く、うちの市の市街地にある受験できる中学はそこのひとつだけ。他は市街地から離れてたり隣の市だったりで、市の中心駅からスクールバスに乗って片道一時間かかったりする……うーん…これは田舎だから仕方ないよね。
「中学時代にしっかり塾に通って、理系に強い高校を受けなさい」
「理系…って、理科と算数?あ、高校だと数学か」
「大丈夫、光哉ならきっとできるよ」
「欲しい本や行きたい塾があったら言うのよ」
「うん」
父さんと母さんの励ましに、僕は嬉しくなった。

前世の僕は両親は物心ついたときには亡くなってたし、お医者さんが王様に嫌われるような世界だったし(魔法の世界だから科学が発達しにくかったんだろうね)、子供の頃から勉強よりも仕事が優先だった。ここも半世紀前くらいはそうだったみたいで、現におじいちゃんとおばあちゃんは早くに亡くなってしまったけど……今の僕は恵まれているよね。
だから、前世の僕のように全てを捨ててテロリストなんかになったら、父さんや母さんも悲しませることになってしまう。
同じ過ちは、絶対に繰り返さない。

僕だけじゃなくて、みんなで幸せになるんだ。

□■□

将来の夢を家族に話したから、今度は皐月に話す。

「みーくん、お医者さんになりたいの?」
皐月は聞き返した後で、うーんと首を傾げて考える。
よく考えたら…皐月に反対されるって可能性もゼロではないんだよね。どうすればいいんだろう。考えてもいなかった。

「…ダメかなあ」
おそるおそる尋ねると、皐月は難しい顔で僕に尋ねてきた。
「小さな病院を作るの?それとも、大きな病院で働くの?」
「え…そこまで考えてなかった…」
働き方のことまで考えるなんて、皐月ものすごくしっかりしてる!僕なんかとは大違いだ。
「…どうするの?」
「大きい病院ではたらくのは、あんまり考えてなかったかな…今の校医のおじいちゃんみたいな、町の病院をやるとばかり…」
僕はそう答える。診療所で働く自分は想像できたけど、総合病院で働く自分は想像できなかったからだ。
すると、皐月はにっこりと微笑んで、
「よかった!大きな病院ってすごくこわいところだってドラマでやってたから!」
と返した。
「…こわいの?」
「うん、出世のために敵をわなにはめたり、えらくなったら気に入らない人をいたぶったりするんだって」
「…!!」
僕は愕然とした。
そんな『権力闘争』が行われているのだとしたら…前世に貴族として生きていた頃と何も変わらないじゃないか…。
でも、よく考えたらおじさん…皐月のお父さんだって、会社の社長が突然亡くなって、跡継ぎが悪い人だったからあんな酷い目に遭ったんだ。前世と規模は違っていても同じようなことが起きているんだ…。
「みーくんが悪い人に囲まれて働くのはイヤなんだよね」
「…うん」
「だから、お金持ちにはなれないかもしれないけど、小さな病院を作ってみんなの病気を治してね」
「うん…」
皐月はこんな風に僕を心配してくれている。僕は何も知らない自分が恥ずかしくなって、帰ったら父さんに話を聞いてみることにした。

「大きな病院の『権力闘争』?」
「ドラマでやってるって聞いたけど」
「うーん、ドラマはドラマだから大げさに描いているだろうけど、やっぱり多少はそういうのがあるんじゃないかな」
父さんもやはり、その存在を否定しなかった。
「なんでそういうことになるんだろう」
「大きな病院はそれだけ大きなお金が動くだろう、そうすれば権力もついてくる、権力を持っているところはどうしてもそうなるんだよ」
「そんな…」
病院の中で権力闘争が起きる。何かをきっかけに、ある人がトップになったとする。とても心の狭い、権力の亡者が。もしそいつと敵対していたら、どんなに腕が良い医者でも冷遇されて、追放されてしまう。
そのせいで患者を診られなかったら?人が死んでしまったら?

まさかあの『国王』が、生まれ変わっても同じことを繰り返すつもりではあるまいか…!

僕の中で闇が湧き上がり、慌ててそれを振り払った。

僕は二度と前世の悲劇は繰り返したくなかった。今度こそ愛する人と幸せに、平和な優しい世界で、年老いて死ぬまでずっと…そう思っていた。
けれども、前世と同じ悲劇を繰り返すための落とし穴はそこら中にあったんだ。僕がそれに気づかなかっただけで。
その落とし穴に墜ちたが最後、この幸せは再び失われてしまう。三度目があるという保証はない。

僕は失う怖さを知ってしまった。皐月を、家族を、友達を、失う怖さを。

□■□

12月。
もうすぐ冬休みなんだけど、皐月がインフルエンザになって寝込んでしまった。
インフルエンザは僕も去年かかって、出席停止期間が終わる頃には元気になったから大丈夫だとは思うんだけど……前世、アザレアと息子(フリント)の命を奪ったのは『疫病』だったから、やっぱり不安になってしまう。

お小遣いでスポーツドリンクとフルーツの缶詰を買って、皐月の家のドアの前にこっそり置いて帰ろうとしたら…窓から皐月が手を振ってくれた。よかった、思ったより元気そうだ。

おばさんが皐月を車に乗せて病院まで連れていく。校医のおじいちゃんのところに見せに行くんだろうけど、小学校を挟んで反対側にあるから、病気の身体で歩いていくのはちょっときつい。僕のときもそうだった。
「もっと近くに病院があればいいのに」
と、母さんが呟く。
「僕が医者になったら建てる」
僕が大真面目にそう言うと、
「ちょ、皐月ちゃんが熱を出したからってそこまで思いつめなくていいのよ…?」
と、慌てる母さん。
皐月が熱を出したのはたまたまで、元からそう考えていたんだけど…皐月が心配でずっと窓を見上げているような僕が言っても、信じてもらえないんだよね。