鶴旦那は恩返しより溺愛したい 第6話

第6話 鶴の羽衣

市次郎は庄屋屋敷の物置にある牢へと閉じ込められた。
戦国の世の頃に使われていたものであるという。その気になれば壊せるかもしれないと思えるほど古いものだったが、村に佐奈と佐保がいる以上は無理矢理逃げることが得策でないことくらい市次郎はわかっていた。

「ふざけるな!市次郎を返せ!!」

「まだ今年の稲を取り込んでないんだぞ!?市次郎がいないと村中の組は回らねえぞ!」

「庄屋の旦那はどうした!」

「まさか死んだのか!?」

庄屋屋敷には藤一郎を初めとする村の男たちが怒って詰めかけているが、全く埒が明かなかった。

藤一郎も気づいていた。徳兵衛の狙いは、ただ市次郎を傷めつけて目の前から消すことであると。おそらく、徳兵衛の計画は完璧ではないだろう。今寝込んでいる徳一郎が回復すれば、勝手なことをして村人の信頼を失って、廃嫡されてもおかしくない乱行である。でも、徳兵衛はそれでも構わないのだ。

…こういう捨て身の人間が、一番恐ろしい。

そして、佐奈と佐保が取り残された家では。

「お佐奈ちゃん、絶対にあいつの言うことを聞いちゃだめよ」

「そうよ!藤一郎兄さまが何とかしてくれるから、待ってて!」

加屋と古屋が駆けつけて、佐奈を励ましていた。

だが、最初は混乱し泣いていた佐奈だったが……罠を堂々と外してのけるあの度胸は、健在であった。

「加屋おばさん……私は騙されていたことを受け入れたって徳兵衛の奴に伝えてくれる?」

「佐奈」

「あいつは私が詐欺師にまんまと騙された愚かな女で、二度と嫁入りの口がない村の厄介者という身分に貶めようとしているの…そんな零落れた女なら、『愛人』にしても正妻を脅かすことはないからね」

「…」

「……あいつの罠にはまったってことにしてほしいの」

佐奈は涙を拭くと、立ち上がる。

そして一反の布を持ってくると、こう言うのだった。

「夫の死装束を縫うので、時間をくださいと伝えて」

「…私の息子を助けてくれるのね…お願いね、お佐奈ちゃん」

加屋は佐奈を抱きしめた。

そして、意を決して庄屋屋敷へと走る。

「佐保ちゃん、危ないからおばちゃんといっしょにいましょーねー」

そして佐奈が服を仕立てている間、古屋は子守りを引き受けるのだった。

□■□

加屋づてに佐奈の申し出を聞いた徳兵衛は、丁度その死装束ができあがる日に代官を呼びつけて市次郎を詐欺師として裁くことに決めた。

「若様、死装束を持ってこられてもさすがに死罪は無理があるのではないでしょうか?」

女中頭が言う。市次郎がやってきたことで村に被害が出るどころか、むしろ働き手として利益になっている。藤一郎たち村の衆が全力で庇うだろうから、大した罪に問うことはできないだろう。せいぜい村を追放になるくらいだろうと女中頭は推定していた。

だが徳兵衛は、市次郎と佐奈を引き裂ければそれでよかった。佐奈を溺愛する市次郎からすれば、死罪よりも辛い刑罰になるとわかっていたからだ。

「ああ、お前の嫌いなあの女が伝えにきたぞ?『気持ちだけでも死んだつもりで詫びろ』だとさ」

徳兵衛は当然知らないが、これは加屋が咄嗟に付け加えた話であった。加屋は、いくら演技であっても無実の息子に『死ね』と言うことはできなかったのだ。

「まあ、あの女が育てただけあって、なんて気が強いこと!いくら仲が良くても、婿養子だとそんなものなのでしょう!」

市次郎の不幸は加屋の不幸だと、女中頭も嬉しそうにケタケタと嗤うのだった。

市次郎が連れていかれてから、二つの夜が過ぎた。

(佐奈、大丈夫かな…佐保は元気にしているかな…)

市次郎は特に抵抗することなく、出された薄い粥をすすり牢の中でじっとしている。

一方で佐奈は休むことなく手を動かし続け、たった一日と半分で一枚の美しい羽織を縫いあげた。

白銀に輝く、『鶴の羽衣』から仕立て上げられた羽織であった。

佐奈は羽織を風呂敷に包み、庄屋屋敷へと向かった。

「佐奈…」

「お佐奈ちゃん」

屋敷を取り囲んでいた若い衆がざわつき、道を開ける。

その先には、憎き徳兵衛が待ち構えていた。横には二人の見慣れぬ男が立っている。代官がよこした取り調べの使者であろう。

「約束の装束を持ってまいりました…どうかこれを夫にお渡しください」

佐奈はしおらしく言ってみせる。

「中身を改めろ」

代官の手前、徳兵衛はきちんと罪人を管理している風を装う。

「まあ、中に何か隠している割には軽いですが…」

女中頭が中身を改めると、そこには輝かしいばかりの白い羽織が入っていた。

「…確かに装束だな」

拍子抜けしたかのように徳兵衛が言う。

「多少豪華すぎるのが癪にさわりますが」

女中頭は包みを元に戻した。

すると、

「その装束、私が届けましょう!」

若い娘の声が突然響いた。

手を挙げたのは痩せた若い娘…佐奈によく似た面差しの娘。彼女こそが美代であった。

「お願いするわ」

佐奈は直に美代へと包みを渡す。美代はすぐさま、牢の方へと走って行った。

「あっ、こら、勝手な真似を…!」

徳兵衛が苛立った声を挙げるが、女中頭は

「まあまあ、鍵はこちらにありますし、あの非力な娘には何もできませんよ…せいぜい隙間からあの包みを差し入れるくらいでしょう」

と笑うのだった。

美代は市次郎に粥を運ぶ仕事をやらされており、物置の中には入り慣れていた。

「あの、その、奥様からのお届け物です」

包みを差し入れる美代に、市次郎は一礼した。

「ありがとう」

「あの……奥様はきっと、市次郎どのを嫌ってなどいません…あたしからは、そんな風に見えませんでした」

美代は震える声で伝える。これを徳兵衛たちに聞かれたくなくて、彼女は走ってやってきたのだ。

「ありがとう、お美代さん」

「いえ…」

市次郎が礼を返すと、美代はほっとしたように微笑んだ。

「……俺が佐奈を想うように君のことを想っている人がいるって言ったら信じてくれるかな」

市次郎がそれを伝えると、美代の瞳が揺らいだ。

ふと、装束の内側に何かが縫いつけられていることに市次郎は気づいた。

「佐奈からの手紙だ…」

「えっ」

驚いた美代だったが、彼女は字を読むことができないので中身を確かめられない。

「父…弥次郎殿に渡してくれ」

「えっ、はい」

牢の中から投げられたそれを美代は慌てて拾い上げ、懐に隠す。

「さてと…佐奈の贈り物を、大切に着るとするか」

市次郎は立ち上がると、羽織に手を通す。

その瞬間、市次郎の体が光に包まれたのだった。

それから間もなく、使者二人を引き連れて、徳兵衛が物置の中に入ってきた。

「どうだ、愛する妻からの死装束の着心地は」

勝ち誇ったように笑う徳兵衛。

「…?」

しかし、使者は首を傾げた。牢の前で、美代が屈み込んでガタガタと震えていたからだ。

「おい、娘、何があった」

「お、おい、あれを見ろ!!」

使者が指さした、物置の奥の檻の中。

大きな一羽の鳥が、静かに佇んでいたのだった。

「は…?」

徳兵衛の持つ明かりが鳥を照らす。白銀の体に漆黒の模様、長い嘴、そして頭の赤い印。

まごう事なき丹頂鶴が、そこにいた。

「鶴だ」

「しかも丹頂鶴だぞ、藩の決まりで捕まえるのを禁じられている…」

使者たちが恐れ、たじろぐ。

「な、何を…ここには詐欺師の市次郎を捕まえておいたはずだ……市次郎をどこにやった、お美代ー!!」

「あ、あたしは…」

徳兵衛は美代を引っ張り無理矢理立ち上がらせようとするが、相変わらず美代はガタガタと震え、言葉を発することができないままだ。

「どういうことだ!!どういう術を使った、この化け物めー!!」

徳兵衛が激高する。鶴は当然何も答えない。

物置にあった錐を持って檻に飛びかかった徳兵衛を、慌てて使者たちは止める。

「どういうことだ、というのはこっちの台詞だ」

「禁じられた鶴狩りをわざわざ代官の使者に向かって自慢しているなど、どう考えても正気の沙汰ではないぞ」

美代や鶴に対する徳兵衛の乱暴さを目の当たりにしたことで、使者たちは『徳兵衛の方がおかしいのではないか』と思い始めていた。

「ご迷惑をおかけしました…お代官様の使者どの」

そこに、静かな低い声が響き渡った。

「…親父殿?」

熱で寝込んでいるはずの徳一郎が、弥次郎に肩を貸された状態でそこに立っていたのだった。

「あ、あの、こちらはお佐奈さまからで…」

美代が佐奈の手紙を弥次郎に差し出す。弥次郎はそれを読んで目を丸くしたかと思うと、何かを徳一郎に耳打ちし、徳一郎はそれを聞いて天を仰いだ。

そして、徳一郎は使者に驚くべき言葉を告げる。

「息子は毒キノコにあたって幻覚を見たのです…田の鶴を恋敵である市次郎だと思い込み、捕まえに行ったと聞いております」

「お、親父殿…ど、毒キノコ?な、何を言って?」

思いもよらない話を出された徳兵衛は驚いて、目を白黒させた。

「本物の市次郎は養父である神主と共に村の外に出ております…私も同じくキノコにあたって熱を出して寝込んでおりましたゆえ、止めることができず申し訳ございませんでした」

お前の悪事には加担しない。お前を見捨てる。

それは、徳兵衛への最後通告であった。

「あい分かった」

「藩法破りだ、捕らえるぞ」

毒キノコであろうが、酒に酔ってであろうが、心の病であろうが、使者たちにとってはどうでもいいことであった。殿様の命令に逆らったという事実がここにあるのだから、それで裁くだけである。

「……すまない弥次郎、庄屋の役目を果たせなかった」

「…誰だって息子は可愛いもんだ」

「後は、頼む…」

そう言って、徳一郎は座り込んだ。

「出てきたぞ!」

「市次郎はどうなったんだ!」

若者たちが騒ぐ中、代官の使者二人が罪人を縄にかけて現れた。

繋がれていたのは……市次郎ではなく、徳兵衛であった。

どういうことだと皆が騒ぐ中、弥次郎が一羽の鶴を抱えるようにして物置の中から現れた。

「鶴…?」

藤一郎が父親に尋ねるよりも先に、

「ほら、早く逃げるんだ!」

弥次郎は鶴を空へと放ったのであった。

「…市次さん」

空を舞う美しい丹頂鶴を見上げる佐奈。

その頬を、一筋の涙が伝った。

「あぁああああー!」

目の前で可愛がっていた徳兵衛が捕らえられてしまった女中頭は混乱し、目についた美代に飛びかかろうとした。

「何をするの!」

慌てて加屋が女中頭を突き飛ばし、美代を助ける。

「誰のせいでこうなったと思ってるんだ!」

「ふざけるな、このババア!」

「く…!」

女中頭は徳兵衛に立腹していた村の衆に取り囲まれ、それ以上動けなくなった。

「あ、あの…これ、お佐奈さまからの手紙です…弥次郎さまが、藤一郎さまに持って行けと」

怯えた表情で、美代が手紙を差し出した。人が目の前で鶴に変化した衝撃で、まだ足元が覚束ない。

「お美代ちゃん!」

利造が慌ててそれを受け取り、藤一郎に渡す。

そこには、かな文字でこう書きつけてあった。

『このころもは ひとをつるにする かみさまのころもです』

徳一郎が村を守るために嘘をついたように、佐奈も市次郎を守るために嘘をついた。

まず、衣が死装束であるかのように嘘をついて、まんまと牢獄の中へと持ち込ませた。

そして、手紙には『市次郎を鶴に戻す』衣ではなく、『人を鶴に変身させる』ことができる衣であるという嘘を書いた。市次郎が元々鶴であることがばれないように。また村に戻ってくることができるように。

「さっきの鶴は市次郎なのか…!?」

「どういうことなんだ、お佐奈ちゃん」

慌てて佐奈を問い詰める村人たちに、佐奈は涙を拭いて答える。

「…神様の力が宿った糸を、神主様に頼まれて、私が織って布にしたの…こんな事情だから使わせてもらっちゃった」

それは嘘ではなかった。

「あ、あの神主さんそんなすごいものを持っていたのか…」

「銭にもならない布を織るなんて偉いなあ、お佐奈ちゃん」

「やっぱり神様は見ているんだねえ」

わいわいと、村人たちは自分たちの解釈で話し始めた。

(ごめんなさい神様…嘘をついたことの償いは、これからしていきます)

佐奈は土地神をはじめとする神々に心の中で謝る。

太った猫が再び庄屋屋敷の中に入っていったことが神からの答えだったのだが…残念ながら、佐奈にはそれが見えなかった。

それから村全域の住民たちが庄屋屋敷に集められ、徳一郎が病床からこれからのことを話した。

徳兵衛が鶴狩りの罪で捕まってしまったので、廃嫡するということ。

自分もこの騒動の責任を取り蟄居すること。

庄屋の役職には、分家当主の弥次郎が就くということ。

嫁いでくるはずだった隣村の庄屋の娘には、弥次郎が遠縁から適切な相手を婿として選び、やがてはその婿に空位となった庄屋分家の家督と田畑を継がせることで、隣村への義理を立てること。

ちなみに市次郎がどこの誰かについては、佐奈が留守中の神社から糸の贈答記録と糸の山を持ち出したことで解決した。

「ゆかりのある方が糸をくださるの」

佐奈がぼかして言うが、これも嘘ではない。

実際は市次郎が羽根を土地神に供えて糸に変化させた記録なのだが、何も知らない人が見れば『時たま、誰かが糸を市次郎に送ってきている』としか読み取ることができないように書かれている。こうなることを神主はある程度予想していたのであろう。そして、市次郎が自分のお金で買ったにしては多すぎる糸の現物がここに存在している。

案の定、村の皆は『市次郎の実の親が糸を送ってきている』と解釈し、彼は引き続き村の住人として認められることになったのであった。

「実の親か…生まれ変わりに気づいた後は敢えて考えないようにしていたんだが」

「縁が残っていたのね」

少し寂し気に呟く弥次郎と加屋に、嘘をつく佐奈の良心は痛んだが、

「市次さんは、弥次郎おじさんと加屋おばさんが親で、神主様がお爺さんだって思っていますよ」

それは偽りのない真実であった。

□■□

翌日。

まだ戻らぬ市次郎を、佐奈は表口に立って待っていた。

「佐奈、市次郎を待っているのか…神社の方がいいんじゃないか?」

見かねた藤一郎が声をかけた。竹丸を抱いた紺も一緒である。

「神社に行くなら、私が佐保ちゃんを一緒に見てるわよ」

「お紺ちゃん…」

「鶴になって飛ぶのは楽しいかもしれないけどそんなの最初だけだろ…あいつは佐奈に会えないのが我慢できなくなって戻ってくるよ」

「貴方がそうだから、でしょう」

「そうだよ、俺達は考えが似てるんだ」

藤一郎たちは楽観的だ。だが、佐奈はそうではない。

(市次さんは鶴に戻ってしまったから、もう人の姿にはなれないかもしれない…)

佐奈が懸念しているのはそのことだった。

だが、佐奈は気丈に振る舞った。

「う~」

今も自分にしがみついている小さな佐保を、不安がらせるわけにはいかないのだ。

日中、佐奈はきちんと村の仕事をこなした。青苧の糸を績み、実った柿を干し、野菜畑の様子も見た。

そして夕方、佐保をお紺に預けて神社に向かったのだった。

(沢山の嘘をついて申し訳ございませんでした……市次さんが二度と人になれないのなら、私はそれを受け入れます…ただ、これからも市次さんが平穏に暮らせますように)

佐奈は、愛しい夫の無事だけを神前で願った。

その時。

本来であれば佐奈に聞こえるはずのない、子供の声……土地神の声が響いた。

「ははは!そもそも僕が最初に間違えなければそんな嘘なんてつかなくてよかったんだけどね!それに、僕に許される手助けはあの羽衣で手一杯だったから…最大限に活用してくれて君には感謝しているよ」

「えっ?」

誰の声だと辺りをきょろきょろ見回す佐奈に、土地神は続ける。

「あと、縁結びの神が言っている…縁結びっていうのはね、子供が一人できたから無事に終わりました、で済むものではないってね!」

「!」

佐奈が驚いて振り返った時、一陣の風が吹いた。

夕日に照らされた、美しい一羽の鶴が、佐奈の前に立っていた。

「市次さん…」

佐奈が思わず手を伸ばすと、鶴の体が光り輝いて…ひらりと白い衣が地面に落ちた。

「佐奈、会いたかった」

翼ではなく人間の腕で、市次郎は佐奈をしっかりと抱きしめた。

市次郎は佐奈を抱きかかえたまま歩き始めた。

村落に足を踏み入れると、気づいた村人たちが声を上げる。

「あ、市次郎!帰ってきたのか!」

「鶴に化けた気分はどうだったかい!?」

好奇心にかられた村人たちに質問攻めにされる市次郎だが、にこにこと笑って

「それは明日話すよ」

などと返している。

「ね…恥ずかしいからおろして…」

佐奈が顔を隠しても、市次郎は気づかないふりをしていた。

騒ぎを聞いて飛び出してきた藤一郎は、その様子を見て

「だから言っただろ」

と笑い出したのだった。

佐奈の家では、紺が竹丸を連れて佐保の面倒を見ていた。

「やっぱりあの人の言ったとおりになったわね…佐保ちゃん、お父様が帰ってきてよかったわね」

紺はおっとりと笑うと、竹丸を連れて家に戻っていった。

「うーう」

佐保は腹ばいになったまま、佐奈の方に手を伸ばした。

「市次さん、佐保にお乳をあげないといけないからおろして…」

佐奈が訴える。

「そうか、それなら仕方ないな」

さすがに子供のこととなると市次郎も諦めて、佐奈をおろすと草鞋を脱がせる。

「父様が帰ってきたわよ、佐保」

「元気だったか、佐保~」

しかし三日三晩の留守は赤ん坊にとっては相当長かったらしく、市次郎は他所の人という扱いになってしまったようで…

「ふぎゃあああん!」

市次郎が抱き上げると佐保は泣き出してしまったのであった。

□■□

夜。

佐保がすっかり寝付いた後の真っ暗な部屋の中で、市次郎は佐奈と二人でござの上に寝転がっていた。

「こうやって人の手で佐奈に触れられるのが嬉しい」

市次郎は幸せそうに笑う。

すると、佐奈は涙をぽろぽろと零した。

「…何だか、安心したら…涙が…」

市次郎の胸に顔を埋めて泣く佐奈を、市次郎は心底愛おしいと思った。

「佐奈のおかげだよ…佐奈が俺の居場所を守ってくれた…」

罠から助けてもらったあの日も、今回のことでも。市次郎にとって佐奈は、自分を導いてくれる女神のような存在だ。

「……どんな手を使っても一緒にいたかった、から」

涙を拭きながら佐奈は言う。

「佐奈…」

それを聞いた市次郎は、目を丸くした。

番と離れないためならどんな手でも使う…自分は元々鶴だったからそのように考えるのだと思っていた。だが、佐奈も同じ気持ちだったのだ。

人間の番は信頼と愛情によって成り立つ。だから、それだけ佐奈は自分のことを信じ愛してくれているのだ…

幸せな気持ちが溢れ出して止まらなくなり、市次郎は佐奈を抱きしめて口を吸った。

「んっ」

佐奈は恥じらいながらも、夫の背に手を回す。それは熱い夜の始まりだった。

「ん、ふ…やだ…」

恥じらう佐奈の小さな声が、静まり返った部屋に響く。

市次郎は愛しい妻の秘め所を愛撫しながら、もう既に自分は下帯の前を寛げていた。あんなことがあった後だ。やっと愛しい妻の元へ帰れたという喜びで、市次郎は我慢がきかなくなっていた。

「今日は久しぶりにちょっと…激しくするか…」

佐奈は婚礼の日から二月もしないうちに子を身籠ったし、お産を終えて回復した佐奈が産屋から戻ってきても、市次郎はひと月以上佐奈を抱くことはなかった。そして、その後も恐る恐る触れていた。佐奈を壊してしまいたくなかったからだ。ゆえに市次郎が佐奈を激しく抱いたことは、初夜を含めてこれまで数えるほどしかない。

「うるさくして佐保を泣かせちゃ、だめ…」

佐奈はそう言って首を横に振る。

「それはそうだけど、こればかりは…胸をむやみに触ってお乳を無駄にするのだけはやめるから、許してくれるか」

「だめ…」

佐奈は市次郎の肩に顔を埋めて声を隠す。それに猶更煽られて、市次郎はさらに自身を硬くした。

「佐奈、もう挿れたい」

「…」

小さく佐奈が頷いたのを見て、市次郎は先端を佐奈の中へと埋める。じゅぷ、と水音がして簡単に入ってしまった。

「あぁ…」

我慢できず市次郎は腰を押し進め、置くまで貫いてしまった。

「ーーーっ」

あまりの急激な刺激に佐奈は背を反らせた。挿れただけで達してしまったのだ。

「佐奈…ナカ気持ちいい」

きゅうきゅうと絡みつく感触に市次郎は快感と幸せを覚える。自身の形にしっかりと馴染ませた後で、市次郎は奥を探るようにゆっくりと腰を動かし始めた。

「んっ、ふっ…んん…」

佐奈は声を堪えるが、それが却って市次郎を興奮させているとはわかっているのかいないのか。

「佐奈…綺麗だ…俺の佐奈……」

市次郎の中で、ずっと離れたくないという気持ちが欲望と結びついてゆく。睦み合い繋がっている間は誰も二人を引き裂けないのだからと、もっと奥深くに自分の痕跡を刻みたい気持ちが膨らんでゆく。

「市次さぁ…ん…」

佐奈も、もっと奥に挿れてほしいと強請るように脚を市次郎の腰に絡めた。二人の腰が密着し、体温が伝わり、それが二人を酔わせてゆく。市次郎の我慢はもう限界だった。

「佐奈、佐奈…!」

愛しい妻の名を呼びながら腰を打ちつける市次郎。

「あぁ、はぁっ、市次、さぁん」

夜闇の中だというのに、佐奈の瞳が快感に溺れてゆくのが市次郎にはわかった。佐奈の身体も市次郎を求めているようで、奥へ奥へといざなってくる。

「そろそろ…一回出す」

市次郎は堪え性がないなと自嘲したものの、今すぐ佐奈のナカを自分のもので一杯に満たすという欲望には敵わなかった。

「ん…」

出して、と言うかのように佐奈の奥がきゅうと締まり、射精を促す。

「っ…」

市次郎は自身の先端を佐奈の最奥にぐりぐりと押し付けると、そこで自身を解放する。

「あ…あっ」

びゅう、びゅう…と断続的に放たれる熱い白濁に、佐奈も再び絶頂に押し上げられる。射精はなかなか終わらず、市次郎の興奮が佐奈にもわかった。

「……はあ」

大きな波がようやく引いたころには、市次郎が望んだとおりに佐奈のナカは彼の出した白濁で一杯になっていた。優しく穏やかに交わった日とは比べ物にならないほどの量である。

「ふぅ…」

佐奈が荒い息をつく。

「佐奈、もう一回だ…」

それでも市次郎の分身は硬さを失っていない。今度は座った状態で、佐奈を下から突き上げ始めた。

「や、は、さっき、おわったばかりなのにぃ」

再び与えられる激しい刺激に、佐奈の言葉は声にならない。混じり合った体液が外に零れ、敷かれたござにぽたぽたと染みを作ってゆく。

「佐奈…佐奈、ずっと一緒だ…」

「市次、さん…」

「ずーっと、ずっと」

「…うん…」

心底幸せそうな夫の声に、佐奈はもう抵抗することを諦めた。

今日だけは、二人が一緒にいられる幸せを祝って…このまま溺れてしまおう、と。

□■□

翌朝。

危うく徹夜しかねないほど長くの時間熱を分け合っていたので、佐奈は起き上がることができなかった。

市次郎は佐奈と離れがたかったが、さぼるわけにもいかないので先に起き出した。そして佐奈の身体を拭いてから布団に寝かし直し、幼い娘がまだ寝ていることをしっかり確認して、井戸から水を汲んでござ洗いを始めた。そんなことをすれば近所にも何をしたかバレバレなのだが、そこはお互い様…そういう価値観である。

「おー市次郎、お前がそんなへっぴり腰になってるなんて相当だな…」

呆れたように藤一郎が笑う。いつもなら重い水桶をいくつも平気で担いでいる体力自慢の市次郎が、ひとつの桶で手一杯になっていたからである。

「妻と無理矢理引き裂かれそうになった後にほんの少しでやめられますか、兄さんは」

「……悪い、それは無理だな」

「でしょう」

しかしこの兄弟は似た者同士なので、この調子だ。

「でもこれからやることは沢山あるぞ?庄屋さんは蟄居するのにお前の住んでたあの掘っ立て小屋を使うらしいし、代わりに親父があの屋敷に行って住まないといけないんだが、庭を鳥たちが荒らしてボロボロにしてるから直さないといけないし…ああ、それから奉公人たちの引継ぎの書面も作らないといけないな、徳兵衛に命じられた以外の時に俺やお前に暴力を振るった奴は解雇するって親父は決めてるけど」

「…引っ越し作業は明日からにしてほしいんですが」

やることが山積みで、市次郎は苦笑するしかなかった。今日は戦力になりそうにない。

「ああそうだな、その方が良さそうだ……でも、あいつが多分お前の分も働くんじゃないか?」

藤一郎はそう言って、利造の住む家の方を指し示した。

徳兵衛は鶴狩り禁止令を破った罰として、体に罪人の証を刻まれた上で村から追放されることになるだろう…と、あの使者が言っていたという。江戸の方では昔同じような罪を犯して打ち首になった武士がいたという話だから、それに比べれば随分温情のある裁きだ。しかし、今まで家に閉じこもってぬくぬくと暮らしてきた徳兵衛にとっては死罪にも等しい刑罰なのであった。

そして女中頭もまた屋敷を追い出されることとなった。行く当てのない彼女は一体どうするのだろうか。一方で、女中頭の直属として酷い目に遭わされていた美代たち数名の女性奉公人たちは、これまでの詫びとして徳一郎から直々に金品が与えられて解放されることとなった。

美代はその金品で借金を返せるとのことだが、仕送りを続けるためにこれからも屋敷で奉公は続けるという。利造との仲はこれからだ。

「神社で縁結びの神に、利造のところも幸福になれるようにお願いしておこう」

「ああ、それがいい」

兄弟は顔を見合わせて笑うのであった。

□■□

それから数年。

村中地域の組頭となった市次郎は、その役職に恥じないように立派に働いた。細かい作業は相変わらず苦手なままだったが、器用な妻の佐奈がそれを支え補った。

市次郎の佐奈への溺愛ぶりは有名で、村人たちは同じく紺を溺愛する藤一郎と見比べながら、やはり兄弟はそっくりだなと笑う。仲睦まじい夫婦はその後も子供に恵まれ、佐奈は佐保の後に3人の子を産んだ。紺が産んだ子供5人と共に、村を盛り立てていくこととなる。

やがて、市次郎が人として過ごす時間が長くなってくるにつれて、他の村人たちと同じように土地神の声は聞こえなくなってしまったのだが…鳥たちが与えてくれる恵みによってそれからも村は栄え、人々もそれに感謝し鳥をむやみに殺すことはしなかった。

そして、あの日市次郎を鶴に戻した例の羽織は境内に落ちたままになっていたが、後になって戻ってきた神主が拾い上げて、神社の奥に大切に封じ込めていた。

羽織へと形を変えた『鶴の羽衣』が納められた神社にちなんで、村の漢字が縁起の良い『上之田鶴かみのたづ村』に改められた、とのことである。

めでたし、めでたし。